日本人の物語01198【南北朝最末期】南北朝最末期概観
やっと南北朝時代最後のチャプターが始まります。長かったですね。
天授5/康暦元(1379)年閏4月23日から元中9/明徳3(1392)年閏10月5日までを「南北朝最末期」としてまとめます。遂に南北朝が合一されるところを描くわけです。
この時代の重要な事項は、
・鎌倉府が反逆者を次々と葬って力をつけたこと
・義満が朝廷をしのぐ権力を身につけたこと
・最有力守護である山名家が討伐され、勢力を失ったこと
でしょうか。特に山名家が討伐された「明徳の乱」については、義満の恐るべき采配に戦慄するほかありません。
そしてこの時代の特筆すべき事項は、義満の朝廷におけるすさまじい昇進と権力掌握でしょう。義満の主な昇叙と補任の状況を見てみましょう。(北朝元号のみ記します)
貞治5(1366)年:従五位下
貞治6(1367)年:正五位下・左馬頭
応安元(1368)年:征夷大将軍
応安6(1373)年:従四位下・参議・左近衛中将
永和元(1375)年:従三位
永和4(1378)年:権大納言・右近衛大将・従二位
康暦2(1380)年:従一位
永徳元(1381)年:内大臣
永徳2(1382)年:左大臣
永徳3(1383)年:源氏長者・准宮
応永元(1394)年:太政大臣
いやはや、かつて「昇叙が早すぎて不吉」といわれた源実朝(00624回参照)をもしのぐスピードです。これに比例して、公卿の人事についても幕府が握るようになっていきます。
幕府が公卿人事に容喙する現象は、義詮時代から起こっていたようです。例えば貞治6(1367)年4月及び6月に、清水谷実材(しみずたにさねき:1309~?)を権大納言に、中山定宗(なかやまさだむね:1317~1371)を中納言に、今出川公直(いまでがわきんなお:1335~1396)を右近衛大将に、それぞれ任ずる除目が発表されましたが、これらはいずれも義詮の推挙によるものでした。三条公忠は今出川公直について「和漢について無才の仁なり」と記し、武家の機嫌を取れば出世できる風潮について愚痴をこぼしています。こうした幕府から天皇に対する要請を「武家執奏」といいます。
義満の時代になると、摂政・関白はもとより皇位継承についてまでも幕府が事実上の決定権を持つようになります。義満による朝廷乗っ取りの様子をじっくりと見ていきましょう。
