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日本人の物語00967【南北朝初期】婆娑羅大名土岐頼遠 蛮行

光厳天皇って、六波羅探題に連れられて近江国番場に連れていかれて、目の前で432人が自刃した人です。つくづく運のない人ですね・・・。

 光厳上皇の御前だというのに下馬をしない土岐頼遠に対して、上皇の側近らは駆け寄って口々に
「そのような無礼を言うのはどこの田舎者か。上皇様の行幸であるぞ」
と声をかけました。すると頼遠はカラカラと笑って、
「何だと、院だというのか、犬だというのか。犬なら射殺してやろう」
と言うや否や、なんと車を取り囲んで馬を駆け寄せ、まるで獣を追い回すようにして矢を射かけました。神をも恐れぬ蛮行です。
 このとき中納言・西園寺公重が上皇に随行しており、急いで車を守るよう役人たちに指示しましたが、牛の胸の紐は斬られ、牛使いも散り散りになって逃げていき、随行していた公卿たちも馬から落とされ、車に当たる矢を防ぐ人さえいません。簾は引き落とされ、車輪が壊れて牛車は路上に転倒し、光厳上皇はあろうことか頼遠ごとき者の前で姿を露わにしてしまいます。
 上皇があまりの情けなさに涙にむせんでいると、公重は
「この頃の都は、野蛮な田舎者が思い上がって無礼の限りを尽くしております。しかし、きっと天がご覧になっているはずです」
と述べ、上皇を慰めました。上皇は
「いくら武家の世の中と言っても、このような狼藉を目の当たりにするとは」
と嘆き、牛車を捨てて徒歩で帰らざるを得ませんでした。
 この頼遠の狼藉を聞いて激怒したのが足利直義でした。直義は
「かつて類例を見ないけしからぬことである。この罪は、親子三代を処罰してもなお足りない。直ちに頼遠を呼び出して、車裂きにするべきか塩漬けにするべきか」
と述べ、大いに憤りました。
 追われる身となった土岐頼遠・二階堂行春は、さすがに怖くなったのか、自分の領国へ逃げ帰っていきました。直義は討っ手を派遣して両者を成敗しようと決定します。
 二階堂行春の方は、もはや逃れられないと観念し、上洛して自首してきました。詳しい取調べがなされた結果、行春の罪は軽いことが分かり、讃岐への流罪で済みました。確かに主犯の頼遠と一緒にただそこにいただけですから、罪は軽そうですね。
 一方、逃れようがないのは土岐頼遠です。頼遠は足利将軍家と一戦構える覚悟で、領国の美濃国(岐阜県)に立て籠もります。

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