日本人の物語00297【平安中期】承平天慶の乱 新皇即位
天慶2(939)年11月。将門と藤原維幾の戦いが始まりました。将門軍1000人に対して、常陸国府軍は3000人の大軍です。
ところが将門はやはり戦の天才でした。将門は難なく常陸国府軍を破り、勝利を収めたのでした。
将門が常陸国府(茨城県石岡市)に押し入ると、降伏した藤原維幾は国印を渡して来ました。国印というのは、国司として発出した行政文書に押印するための印鑑であるから、これを所持することは行政権を持つこととイコールです。維幾がどういうつもりで国印を差し出してきたのか分かりませんが、これを受け取ったことで将門は国府を乗っ取った逆賊とみなされてしまうのです。
常陸国府を占領した将門軍でしたが、興世王は
「この勢いで坂東8ヶ国(常陸・下総・上総・安房・下野・上野・武蔵・相模)を占領しよう」
と言い始めます。
同年12月11日。将門が下野国府に行くと、下野守・藤原公雅(ふじわらのきんまさ)はひざまずいて拝礼し、国印を差し出しました。
12月15日。将門は次に上野国府(群馬県前橋市)を訪れました。上野守・藤原尚範(ふじわらのひさのり)もまた、すぐに降伏して国印を差し出しました。
これで将門は3ヶ国の国印を集めたこととなります。
このとき、八幡大菩薩の使いと名乗る巫女が現れ、
「皇位を将門に授ける」
と言い出します。なんと天皇に即位せよというのです。これを聞いた興世王は、将門を「新皇」と呼び始めました。新たな天皇ということです。将門の弟は
「後世の批判を招くでしょう。辞退なされませ」
として新皇の名乗りに反対しますが、将門は諫言を受け入れず、新皇を名乗ってしまいます。
そもそもは常陸守・維幾との関係がこじれたから常陸国府と戦っただけなのに、興世王によってなぜか「他の国府まで占領する」という話に発展し、さらに天皇を名乗ることで独立国を樹立するという話に広がってしまいました。
どうも将門は途中までは正義感旺盛な男だったのですが、興世王のせいで余計な野望を抱いてしまったような気がしてなりません。
