日本人の物語01649【室町/西国/六角征伐】吉田兼倶 詐欺師の才
また大胆なタイトルにしてしまいました。ファンがいたら怒られるかもですね。
吉田兼倶と吉田神社は、同時代の人々から圧倒的な支持を得ました。そしてその影響力は兼倶が死去した後も続きました。江戸時代には伊勢神宮参拝が流行しますが、そんな時勢にあっても伊勢神宮が「神敵」とまで呼んで蛇蝎のごとく忌み嫌った吉田神社は、なぜか人気を博しました。
もちろん、神道の専門家として伊勢神宮の権威を重視する人たちは吉田兼倶を「詐欺師」と断定していました。例えば江戸後期の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね:1776~1843)は、その著書『俗神道大意』の中でこう述べています。
「かかる悪巧みをいだいて天下第一たる大御神の大宮へ参る事さへかなはず、神敵の家と世々にいはれて万世に恥辱をのこしたが、さてさてよい気味じゃ」
兼倶の活動を「悪巧み」と断じ、伊勢神宮への出入りも禁止され、神敵となったことは末代までの恥辱であると断じています。これが伊勢系の神官や神学者の平均的な認識と思われます。
そして、つい最近まで歴史学者が兼倶に騙されていたのが、吉田兼好の出自についてです。兼倶は徒然草の作者は「吉田兼好」という名で自分の祖先であるとして系図を書いているのですが、兼好と同時代の史料には一切「吉田」という姓は登場しないため、これは兼倶の嘘だというのが現在の定説です。つまり、兼倶は徒然草の作者の実名が「兼好(かねよし)」であり、たまたま吉田家の通字である「兼」を含んでいたことを幸いに、そのまま自分の祖先に位置付けてしまったというわけです。
以上のとおり、吉田兼倶は稀代の詐欺師といってもよい恐るべき宗教家だったと思われますが、歴史学者の桜井英治氏は、その著書『室町人の精神』の中でこんなことを述べています。
「兼倶がはたして自分のことを詐欺師だと自覚していたかどうかは問題である。私はかつてある著名な神社の神主から彼自身が体験したという奇跡・奇瑞の類を延々と聞かされたことがあるが、本人はかたくなにそれを信じていた。また彼はおそらくどこを探しても典拠のない、彼自身が考えたどりついた独自の神話解釈とそれにもとづいた歴史観をもっていた。熱心な宗教家は往々にしてこのような強い確信と構想力をもっていて、それが昂じた結果、事実と創作とがないまぜになり、無意識のうちに作為を犯してしまうことも十分ありうるのではないか」
なるほど、神道に限らず、あらゆる宗教の教祖や中興の祖はそういうものかもしれません。吉田兼倶もまた、教祖にふさわしい力を持った魅力的な人物だったのでしょう。
私が子供の頃は「吉田兼好」だったのが最近は「兼好法師」になりました。同様に「滝沢馬琴」は「曲亭馬琴」に、「榎本其角」は「宝井其角」に、「安藤広重」は「歌川広重」になりましたね。
