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日本人の物語00983【南北朝初期】南北朝初期総括

鎌倉時代は初期・前期・中期・後期・末期の5つに分けていたのですが、南北朝時代は最初期・初期・前期・中期・後期・末期・最末期の7つに分けます。もう少しマシな表現があれば良かったんですがね・・・。

 正行戦死と吉野炎上をもって、南北朝時代の約5分の1が終了しました。「南北朝時代」というと、あたかも南朝と北朝が対等な戦力で戦っていたかのように思えますが、決してそうではありません。圧倒的な兵力差で北朝が優勢にあり、南朝は吉野で細々と反抗を続けていたのです。
 本来ならば、南朝側は早々と降伏してもおかしくない状況でした。特に、カリスマ性を持った後醍醐天皇が崩御した後は、近衛経忠が北朝と和睦すべきと主張し、一時期は南朝内部で和平派が幅を利かせていたようです。
 しかし南朝には、北畠親房という強硬な主戦論者がいました。
 親房は常陸で北朝と戦いつつ、諸国の武士を味方に引き込もうと書状を送りまくるのですが、親房が言葉を費やせば費やすほど、武士の心は離れていきました。結局、武士が武士である以上、武家政権たる北朝方になびくのでしょう。
 その親房が吉野に帰還したことで、南朝は北朝と和睦するという選択肢を失ったのでしょう。南朝方には楠木正行というニューヒーローが生まれたものの、その正行が活躍したのは僅か半年間でした。「正成・正行を大河ドラマにしよう」という活動がありますが、イデオロギー云々の前に、そもそも早い段階で戦死してしまうこの2人では、1年間放送される大河ドラマのテーマにはふさわしくないように思えてしまいます。
 さらには北朝方の猛将・高師直が吉野を集中に収め、もはや南朝方は見る影もない状況です。ここから(一時的とはいえ)南朝方が京を陥落させるほど息を吹き返すことになるとは、当時は誰一人思わなかったことでしょう。
 あわせて、この時代から本格的に「婆娑羅」が流行し始めました。有名な婆娑羅大名として、
・妙法院を焼き討ちした佐々木道誉
・塩冶判官を讒死させた高師直
・光厳上皇に矢を射かけた土岐頼遠
の3人を取り上げましたが、いずれにしても、既存の価値観をものともしない勝ち気な性格が表れていると思います。鎌倉幕府が滅亡したことで、既存の枠組みに捕らわれない思考の持ち主が増えてきたのかもしれません。
 こんな婆娑羅な男たちが跋扈している世の中ですから、北畠親房の尊王思想などは全く通用しなかったでしょう。
 南北朝の動乱は、まだまだ始まったばかりです。混乱が鎮まるまでにはまだまだ多くの血が流れることとなります。

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