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日本人の物語00304【平安中期】承平天慶の乱 桔梗の前の伝説

 将門は死んだものの、関東における将門人気はその後も衰えることはありませんでした。将門を慕う人々が様々な伝説を現代まで語り伝えて来ました。
 明らかに後世に創作されたエピソードですが、ここで桔梗の前(ききょうのまえ)という女性の話を紹介します。
 将門には桔梗の前という美しい愛人がいました。彼女は桔梗が咲き乱れる屋敷に住んでいたことから、このような名前で呼ばれるようになったそうです。
 将門の反乱が発生してから、藤原秀郷は何度も将門を追い詰めるものの、最後の最後で取り逃がしてばかりいました。というのも、将門には7人の影武者がおり、どれが本物か見定めているうちに将門は幻のように消え失せてしまうのです。
 そこで秀郷は、桔梗の前を上手く籠絡して味方につけ、影武者を見分ける方法を聞き出しました。桔梗の前の話によると、
「影武者の正体は藁人形に過ぎません。冬の朝に入浴する将門様を観察し、白い息を吐く者がいればそれが本物です」
というのです。
 藁人形7体を影武者として使えるというのは意味不明ですが、将門は幻術の使い手だったと解釈するほかありませんね。
 秀郷は教わった通りの方法で将門を討ち取りました。その後、将門の怨念によってその辺り一帯では桔梗は咲かなくなったのだとか。
 千葉県我孫子市日秀(ひびり)には、
「湖北日秀にゃ桔梗は咲かぬ。桔梗あだ花、嘘の花。将門様のよ、命取り」
という湖北音頭が残っています。
 一方、茨城県取手市米ノ井では、
「用済みとされた桔梗の前は秀郷に殺された」
との伝説があり、「桔梗が原」という地名が残るほか、桔梗の前が殺されたとされる場所に、桔梗塚という石塔も残っています。
 将門を慕う地域で、桔梗のほかに自粛されているのがキュウリです。「将門はキュウリの蔓に馬の脚をとられたところを討たれた」との伝説があるからとも、キュウリの断面が将門の使っていた九曜紋に似ており、それを食べるのは失礼とされているからともいわれています。
 こうした伝説や風習が長年に渡って残るほどに、将門は地元で愛されていたということでしょう。

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