日本人の物語01605【室町/東国/長尾景春の乱】山吹の伝説*
あまりに有名な伝説ですが、難易度高すぎです。
太田道灌の最も有名なエピソードといえば、山吹の話でしょう。
道灌が父の住む越生(おごせ:埼玉県越生町)を訪れたときのことです。そこで突然の雨に見舞われたため、道灌は近くの農家に駆け込んで「蓑を借りたい」と申し出ました。すると農家の娘はうつむいたまま、山吹の花を一輪差し出しました。道灌は訳も分からず、腹を立ててその場を去りました。
後日、道灌が家臣にこの話をしたところ、家臣は
「それは後拾遺和歌集の『七重八重(しちえやえ) 花は咲けども 山吹の 実の(みの)一つだに なきぞ悲しき』という歌にかけて、蓑(みの)を持ち合わせていないと返事したのでしょう」
と説明してくれました。これに感嘆した道灌は、自分の無学を恥じ入りました。
道灌はこれ以降歌を学ぶようになり、文武両道に秀でた名将として知られるようになりました。道灌の詠んだ歌で最も有名なのは
「急がずば 濡れざらましを 旅人の 後より晴るる 野路の村雨」
でしょう。旅人が通った道の後から順に晴れていく村雨を見て、「急がなければ雨に濡れずに済んだのに」と詠んだもので、「急がば回れ」という教訓を歌ったものです。
山吹の話は非常に有名なエピソードなので、江戸時代にはこれを踏まえた狂歌が流行しました。いくつか紹介しておきましょう。
〇どうかん(道灌)がえても山吹初手解せず
「どう考えても」と「道灌」をかけたもので、山吹など出されても分かる訳がないだろうとからかっています。
〇山吹の花だがなぜと太田言い
これも普通の人間は分からないよね、との共感を歌ったものです。
〇実のならぬ花で実のある返事なり
実のない、実のあるという言葉を対比したおかしみがあります。
〇山吹の後は濡れまじものとよみ
山吹の一件で雨に濡れた後、「雨に濡れないように」という趣旨の歌を詠んだことをからかったものです。
現在、太田道灌の銅像は国内に12体ありますが、そのうち日暮里駅前と新宿中央公園のものには、山吹を差し出す少女の像が併置されています。さらに、川越市役所前と越生のものは道灌自身が山吹を一輪手にしています。また、埼玉県越生町には2500株の山吹が見られる「山吹の里歴史公園」があります。やはり太田道灌といえば山吹が付き物なのでしょう。
自分で書いていてびっくりしたのですが、道灌の銅像は12体もあるんですね。


