日本人の物語00418【平安後期】信西と信頼の対立
後白河上皇の信任を得て最高権力を得た信西は、平清盛を重用し始めました。信西が行おうとしている荘園整理とは、有力貴族や有力寺社の既得権益を没収するものですから、そうした政策を実行するには、平氏の強い武力を威嚇のために見せつけておくことは極めて重要でした。
また、平清盛には貿易立国という野望がありました。日本から木材、砂金、硫黄といった特産物を輸出する一方で、宋から医薬品、陶磁器、絹織物、香料、銅銭といったものを輸入することで、国を富ませるということです。平清盛はそのために、信西からの推薦を得て大宰大弐(だざいのだいに:大宰府の次官)に就任し、海賊を取り締まることで瀬戸内海の航海の安全を確保したのでした。
財政再建を目指す信西と、貿易立国を目指す清盛。両者には明確な国家ビジョンがあり、その実現のために両者は提携したのです。
一方、二条天皇の即位によって、二条天皇の派閥が生まれました。「後白河上皇の影響を排除して、二条天皇による親政を目指そう」という派閥で、「二条親政派」と呼ばれます。藤原経宗(ふじわらのつねむね:1119~1189)と藤原惟方の二人がこれに属します。
ここから、信西派と、信頼派と、二条親政派。三つ巴の対立が起こるようになります。
後白河上皇は、信西と藤原信頼の両方を強く信任していました。しかし、信西は信頼の能力に疑いを持ち、「このような人物が昇進するようではダメだ」とすら思っていたようです。
平治元(1159)年。後白河上皇が信西を呼び
「信頼を大将に就けようと思うが、どうか」
と尋ねました。前々から信頼を見下していた信西は、
「信頼ごときが大将になると、誰もが大将を狙えると考えてしまいます」
とはっきり答えます。歯に衣着せぬ物言いですね。
信西にここまではっきりと「信頼はダメだ」と言われ、後白河上皇はこの人事を諦めました。
さらに信西は後白河上皇を諫めるため、白居易の『長恨歌』をテーマにした絵巻を作り、上皇に贈りました。『長恨歌』とは、政務を疎かにした唐の玄宗(げんそう:685~762)が、安禄山(あんろくざん:703~757)という男を重用し、やがては安禄山によって滅亡するというストーリーの歌です。つまり信頼を安禄山になぞらえたわけですが、後白河はその意図に気づきませんでした。
この大将昇進の一件で、信頼は信西をひどく恨み、兵を起こそうと計画します。
