日本人の物語00682【鎌倉中期】とはずがたり*
後深草上皇と亀山上皇、二人の上皇をいただく世となったわけですが、この時代に後深草上皇に仕えていた女房で「後深草院二条」と呼ばれる女性がいました。彼女が残した『とはずがたり』という著作は、史実を記した日記なのか、フィクション作品なのか、評価が分かれているところです。その『とはずがたり』の内容を紹介しましょう。
後深草上皇の異母妹・愷子内親王(やすこないしんのう:1249~1284)は伊勢の斎宮に任命され、伊勢に巡行しましたが、あまりの美しさのため伊勢の神々が帰洛を拒んだといわれるほどの美貌の持ち主でした。
後深草上皇はその妹と長らく会う機会がなかったのですが、ある日の宴会で初めて見る妹の美貌に心を動かされ、女房の二条に仲介を命じて斎宮のもとに通いました。
しかし、いざ想いを遂げてしまうと
「ちょうど桜のようなもので、花は美しいが枝がもろく折れやすい。美しい人だが、あまりにあっけなく張り合いがない」
などと言って、上皇の想いは冷めてしまいます。翌日、また宴会が行われましたが、愷子内親王は昨日の出来事もあって恥じらいを示したのに、上皇はいたって快活に振る舞い、その後上皇が妹のもとへ通うことは二度とありませんでした。二条は仲介した責任を感じてどうにかして二人の仲をつなごうとしますが、既に上皇に妹への想いはありません。
続いて、西園寺実兼(さいおんじさねかね:1249~1322)が愷子内親王のもとに通い始めました。ある夜、二条師忠(にじょうもろただ:1254~1341)が歩いていると、向かいから西園寺実兼の行列がやってきたので、作法に則って挨拶するのが面倒だった師忠は、近くの家に入ってやり過ごそうとしますが、それが愷子内親王の家でした。
愷子内親王の使用人たちは
「実兼様がやって来られた」
と思って仰々しく迎え出たので、師忠もそれにつられて挨拶などしているうちに、実兼は
「他の男を呼んでいたのか」
と誤解して激怒し、それ以降通わなくなってしまいます。
何とも気の毒な話ですが、愷子内親王は二人の男に見捨てられ、悲しい後半生を送ったといいます。
『とはずがたり』の記述は源氏物語の影響を受けている部分が多く、現在ではフィクション作品説が有力なようです。実在の人物名ばかり登場させて創作するとは、本人たちにとっては迷惑な話ですが、当時はそうしたマナーもなかったのでしょう。

