日本人の物語00163【古墳】古墳時代総括
継体天皇から崇峻天皇まで、古墳時代を見てきました。
この時代、ようやく日本書紀の記述が具体化してきて、細かいところはともかく、概ね史実であろうと考えられる歴史が見えてくる時代になりました。
歴史学者の中には、
「継体天皇以前は歴史学が対象とすべき時代ではない」
という意見もあるほどです。かといって、それ以前の歴史を本格的に研究する学者がいなくなってしまったら大変だと思いますが。
さて、継体天皇、欽明天皇の時代に倭国は朝鮮半島経営に失敗し、その外交政策の行き詰まりが原因で、それまで最大勢力を誇っていた大伴氏が失脚。大臣・蘇我氏と大連・物部氏が並び立つ時代となります。
しかし仏教受容問題をめぐって蘇我氏と物部氏は激しく対立。さらには穴穂部皇子というヒールが皇位継承問題をめぐって暗躍したことと絡んで、皇族と豪族を巻き込んだ「丁未の乱」という大規模な内乱に発展します。
この「丁未の乱」に勝利したのが蘇我馬子でした。馬子は、敏達天皇の皇后である炊屋姫と結びついて、政権を掌握します。
と、ここまでが従来の古墳時代の通説だったのですが……。
前述のとおり、近年、物部氏の居宅跡から寺の遺構が発見され、
「実は物部氏も仏教を受容していたのではないか」
との説が出てきているわけです。だとしたら、蘇我氏と物部氏の対立は何だったんだという話になってしまうところです。
日本書紀は奈良時代になってから作られた歴史書ですから、当時の出来事がかなり歪曲されて口伝され、それが記載されてしまった可能性があるわけですね。具体的にいえば、物部氏を倒した蘇我氏が、物部氏を悪者に仕立て上げるために、
「物部氏は仏教を迫害した」
と作り話をしたという可能性があるわけです。
さらに、その後飛鳥時代になってから蘇我氏が大化の改新で滅ぼされるわけですが、またまた蘇我氏を悪者に仕立て上げるためのストーリーが捏造されていくわけですね。
してみると、この時代になってからも歴史の真実はどうだったのか、まだまだ分からないことが多いといえます。
次回から飛鳥時代に入ります。ようやく有名な人物が次々と登場する時代になりますね。
