日本人の物語01414【信広渡海】武田信広 道南十二館
「道南十二館」という言葉は高校日本史で習ったものの、その位置を地図上で確かめたのは今回が初めてでした。
さて、武田信広の正体は不明なものの、少なくとも安藤政季と仲良く蝦夷ヶ島に渡ったことは間違いありません。現在の地名でいうと、青森県むつ市から北海道松前町に渡ったことになります。その時期は『新羅之記録』によれば享徳3(1454)年8月28日です。
当時の蝦夷ヶ島では、和人たちがアイヌとの交易を取り仕切るための組織が徐々に形成されているところでした。特に花沢館(北海道上ノ国町)の蠣崎季繁(かきざきすえしげ:?~1462)という人物が有力者であり、武田信広・安藤政季と良好な関係を築きました。
ここで蠣崎蔵人とは別の蠣崎姓の人物が登場しました。蠣崎とは下北半島南西部の地名ですから、かつてそこを拠点としていた国人がアイヌ交易のために蝦夷ヶ島に住み着いたのでしょう。武田信広と同族なのか、縁もゆかりもない人物なのか、判然としません。ちなみに南部氏の記録によると、南部氏庶流の横田行長(よこたゆきなが)の子孫が南部政経との戦いに敗れて松前に逃れたのが蠣崎氏の始まりとされています。
安藤政季という有力者がやって来たことで、蝦夷ヶ島の和人たちは高度に組織化されていきました。やがて3人の守護が置かれ、その下に「道南十二館」と呼ばれる12人の有力者が置かれることとなりました。「守護」といっても幕府が任命するものではなく、安藤政季が勝手に任命したものです。列挙していきましょう。
〇松前守護: 安藤定季(あんどうさだすえ)……渡島半島南部を管轄
①安藤定季の大館(おおだて:松前町西館)
②蔣土季直(こもつちすえなお)の穏内館(おんないだて:福島町吉岡)
③今泉季友(いまいずみすえとも)の覃部館(およべだて:松前町東山)
④近藤季常(こんどうすえつね)の禰保田館(ねぼただて:松前町館浜)
⑤岡部季澄(おかべすえずみ)の原口館(はらぐちだて:松前町原口)
〇上ノ国守護: 蠣崎季繁……渡島半島南西部を管轄
⑥蠣崎季繁の花沢館(はなざわだて:上ノ国町上ノ国)
⑦厚谷重政(あつやしげまさ)の比石館(ひいしだて:上ノ国町石崎)
〇下ノ国守護: 安藤家政(あんどういえまさ)……渡島半島南東部を管轄
⑧安藤家政の茂別館(もべつだて:北斗市茂辺地)
⑨河野政通の箱館(はこだて:函館市箱館山龍)
⑩小林良景(こばやしよしかげ)の志濃里館(しのりだて:函館市志海苔町)
⑪佐藤季則(さとうすえのり)の中野館(なかのだて:木古内町中野)
⑫南條季継(なんじょうすえつぐ)の脇本館(わきもとだて:知内町涌元)
ここで登場した「安藤定季」「安藤家政」は政季の弟と考えられています。いずれにせよ、安藤・武田の来島によってアイヌ交易はさらに大々的に行われるようになったのです。
函館市、松前町以外にこんなにも多くの町があるのですね。
