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日本人の物語00992【南北朝前期】桟敷倒壊事件

アニメ「逃げ上手の若君」が放送中ですね。フィクション要素の強い作品ながら、意外なところでしっかり史実を反映していたりして、歴史好きも楽しめると思います。

 『太平記』は、さらに観応の擾乱の前触れとなったある悲劇を伝えています。
 正平4/貞和5(1349)年に入ると、1月には流星・彗星が現れ、2月には清水寺で火災、6月には金星・水星・木星が並ぶという不吉な兆候がみられました。こうした状況にもかかわらず、尊氏は洛中で田楽を楽しんでおり、家臣たちは
「かつて得宗・北条高時が楽しんでいたものではないか。よくない兆候だ」
と噂しました。
 そして6月11日、決定打となる事件が起こります。
 ある僧侶が四条に橋を作ろうということで、その資金集めのために田楽の芸比べを主催しました。四条河原に桟敷が作られ、
「これは珍しい見ものだ」
ということで、貴賤問わず多くの男女が集まりました。
 朝廷からは関白・二条良基(にじょうよしもと:1320~1388)が、仏教界からは天台座主にして後伏見法皇の皇子に当たる承胤法親王(しょういんほっしんのう:1317~1377)が出席したといいますから、あまりに豪華な田楽披露です。そしてもちろん、幕府からは将軍尊氏が出席しました。
 舞台には豹や虎の皮が敷かれ、日よけの傘の幕には金襴が張られていました。そして登場した芸人たちが拍子を打ち、踊り始めます。見る者はその素晴らしさに感動し、喚声が席にあふれ返りました。
 そして突然、悲劇は起こりました。満員だった桟敷が大きく傾き始め、一気にどっと倒れたのです。たくさんの材木が落ち重なり、多くの者が体を打ち付け次々と死んでいきます。『太平記』はこの事故について「まさに衆合地獄だった」と書いています。
 この桟敷倒壊事故は『太平記』の創作ではなく現実に発生したものです。というのも、翌日張り出された落首に
「高さじき 一のかみより おちぶれて いふにかひなき 左大臣殿」
という歌があったとの記録が残っており、桟敷から転落して怪我を負った「一上(いちのかみ)」である二条良基を揶揄したものと分かります。
 太平記はこの事故の原因について、ある山伏の口を借りて
「天下の政道が誤っていたから、神が罰を与えたのだ」
と説明させています。
 ともあれ、この不幸な事故は更なる政治的混乱の前兆として受け止められたようです。

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