日本人の物語00440【平安後期】鹿ヶ谷の陰謀 西光処刑
陰謀が露見したことを知った西光は、後白河法皇のもとに逃れようとしますが、その途中、捕縛にきた平家の兵士たちに出くわします。
「一緒に六波羅に来い」
と迫る兵士たちに、西光は乗馬のまま
「これから法皇様に話がある。その後で行こう」
と答えますが、平家軍は
「腹の立つ坊主めが、法皇様に何を言う気か」
と言って西光を馬から引きずり落とし、縛りあげて清盛のもとに連行して行きました。
清盛は、引かれてきた西光を見ると、込み上がってくる怒りを爆発させました。縁の下に降りていくと、いきなり西光を蹴倒して、
「平家に逆らう者は、こうなるのじゃ」
と土足で顔を踏みつけました。
しかし西光はなかなか豪胆な男でした。起き直って、
「口が過ぎるであろう。貴殿の父の忠盛公は、公卿らに同席を嫌がられるほど卑しい身分ではなかったか。その子の貴殿が太政大臣にまでなりあがるとは、それこそ過分であろう」
と清盛を罵ったのです。これを聞いた清盛は、怒りのあまり口もきけなくなり、しばらく西光をにらみつけていましたが、ようやく
「この者はたやすく斬ってはならぬ、よく縛っておけ」
と言い捨てて奥に入っていきました。
西光はその後、凄惨な拷問を加えられ、全てを自白させられた末、清盛から「口を裂け」という命令が出され、口を切り裂かれてから五条西朱雀で斬首されることとなりました。
さて、清盛にとって最も難しいのは、後白河の裁断でした。後白河の関与は明らかで、これをどう罰するか考えていたところ、これを止めに入ったのが長男・重盛でした。重盛は
「院を配流されるならば、まずは私の首をはねてからにしてください」
とまで言って清盛を諫止します。
それでも後白河の処罰をやめようとしない清盛に対し、重盛は清盛が驚く手段に打って出ます。重盛の名において平家の兵たちに集合をかけたのです。普段は清盛に仕えていた兵までもが、清盛に無断で重盛邸に集まっていきました。
集まった兵たちに対し、重盛は
「皆の者、集合ご苦労であった。今回集まってもらったのは重大な事件が起こると聞いたからであるが、それは誤りと分かった。今回は用はないから帰ってよろしい」
と声をかけ、これを解散させました。しかし、重盛が本気になればそれだけの兵が集まるということ、いざとなれば重盛は父にも敵対する覚悟があることが示され、清盛は遂に後白河の処罰を諦めたのでした。
