日本人の物語00354【平安中期】道長の死因
道長が62歳で死去したことを述べましたが、その死因は何だったのでしょうか。
病死した古代史上の人物の死因が判明することは滅多にないのですが、こと道長についてはかなりの確度で死因が特定されています。なんと糖尿病だというのです。
もちろん平安時代に「糖尿病」という病が知られていたわけではなく、検査方法があるはずもありません。にもかかわらず特定できた理由は、実資の日記『小右記』や、道長の日記『御堂関白記』に記された症状があまりに糖尿病のそれに当てはまるためです。
日記に記された症状はおよそ次のとおりです。
・喉が乾いて大量に水を飲む。
・痩せてきて体力がなくなった。
・視力が落ちてきた。
・背中に腫れ物ができた。
そもそも糖尿病とは、膵臓で作られるホルモンであるインスリンの効きが悪くなる病気です。
インスリンの効きが悪くなると、血液中のブドウ糖を細胞にうまく取り込めず、尿からブドウ糖が漏れ出して身体の水分が奪われ、喉が乾いて大量に水を飲むようになります。
さらにブドウ糖の摂取が上手く進まないため、次第に痩せてきます。
血糖値が高い状態が続くと網膜症を併発し、視力が低下することがありますし、免疫の異常によって皮膚の感染症にかかりやすくなります。
日記から窺い知れる道長の容態は、いずれも典型的な糖尿病の症状といってよいでしょう。
しかし、平安時代の食生活で糖質過多になることがあり得るのでしょうか。
『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』などの文献を見る限り、平安時代の貴族は白米や日本酒を好むほか、デザートとして揚げ菓子を食べていたそうです。さらに仏教を厚く信仰していた平安貴族は肉を避ける傾向を持っていたため、かなり糖質に偏った食生活になっていたと考えられます。
以上のような理由から、道長こそが日本史上最初に確認できる糖尿病患者だといわれています。餓死者が多かった時代にあって糖質過多とは何とも贅沢な話ですね。
その後も、糖尿病だった可能性が指摘されている歴史上の人物は大勢います。源頼朝、北条時宗、織田信長、明治天皇……などなど。しかし道長ほどはっきりと診断できるケースは珍しいようです。
