日本人の物語00171【飛鳥】聖徳太子死す*
推古天皇30(622)年2月22日。厩戸皇子が死去しました。最後の言葉は
「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ、ゆいぶつぜしん)
だったと伝えられています。「世間は虚しい仮のものであって、ただ仏だけが真実である」というわけですね。
その死を悼んだ妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)は、供養のため『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』と呼ばれる刺繍を作りました。現在は中宮寺(奈良県斑鳩町)に所蔵されています。断片のみしか現存していませんが、飛鳥時代の染織工芸、絵画、服装を知るうえで貴重な遺品であるため、国宝に指定されています。
さて、皇太子が天皇よりも先に死んでしまったわけですが、次の皇太子は置かれないままでした。
推古天皇34(626)年5月20日。今度は蘇我馬子が死去しました。大臣の職を継いだのは、子の蘇我蝦夷(そがのえみし:586?~645)です。
さて、後の天武天皇の時代に編纂された『日本書紀』において、厩戸皇子は「聖徳太子」と呼ばれ不自然なほどに神聖視されていますね。これは史実だったのでしょうか。
また、最近、「聖徳太子は架空の人物だった」という説がずいぶん流布されていますね。この「架空」という言い方は少々誤解を生むかと思います。
歴史家たち曰く、
「日本書紀を編集するに当たって、後の大化の改新で滅びた蘇我蝦夷・入鹿を悪役にする必要があった。そのためには、蘇我馬子による政治を肯定するわけにいかない。しかし蘇我馬子の功績はあまりに大きく、書かないわけにはいかない。そこで、蘇我馬子のした仕事のうち、良かったことは聖徳太子という人物の功績だということにして、悪かったことは蘇我馬子のやったことだというストーリーを構築することになった」
と、まあこんな説が有力視されているのです。
歴史家たちも、さすがに厩戸皇子という人物の存在そのものまで否定しようとするわけではありません。厩戸皇子は実在だが、その功績を過大評価して神聖視して、「聖徳太子」という尊称まで付けたということなのですね。
ですから、「聖徳太子はいなかった」という言い方は、この説をできるだけセンセーショナルな表現にして関心を引こうという魂胆によるものだと思います。
過大評価説の当否はともかくとして、『天寿国繍帳』の現物が残っている以上、厩戸皇子という人物は厚く仏教を信仰した人物であることまでは間違いなさそうです。

