日本人の物語01143【南北朝後期】白峰合戦 陽動作戦
「白峰合戦」は細川頼之を天下の管領に押し上げた重要な戦いなのですが、いまいち知られてないですね。
正平17/康安2(1362)年7月23日の朝、頼之は家臣の新開真行(しんがいさねゆき)を呼んで、
「敵軍は日々に増えて、味方は次第に減っている。このままでは合戦に勝つのは難しかろう。今、敵方の大将で中院源少将(なかのいんげんのしょうしょう)という人が西長尾城(香川県丸亀市)に立て籠もっているらしい。ここに軍勢を差し向けて攻めるふりをすれば、清氏はきっと軍勢を二つに分けるだろう。そうしておいて、我々は一気に清氏の白峰城(香川県坂出市)を攻めればよいのではないか」
と提案しました。これを聞いた新開真行は、兵500騎で西長尾城へと向かいました。
清氏は見事にこの陽動作戦にかかりました。
「敵は西長尾城を攻めて我々の後ろへ回りこもうと企んでいるぞ。中院殿に加勢しなければならぬ」
と、弟の頼和を大将にして千騎で西長尾城に向かわせたのです。
新開には元々西長尾城を攻めようという気持ちはありません。新開は西長尾城の近くでかがり火を炊いて、今にも攻めようとしていると思わせつつ、そのまま敵の本城である白峰城へと向かいました。
7月24日朝、敵が十分に少なくなったことを見届けた細川頼之は、500騎で白峰城に攻めかかりました。清氏は、西長尾城攻めが陽動作戦だと気づいたからには、頼和らの帰還を待ってから戦えばいいものを、せっかちな性格のため城を出て、敵の只中に突入して激しく戦ってしまいます。
とはいえ清氏軍の強さは本物で、頼之軍は圧倒されてしまいました。清氏は敵兵2人の首を太刀の先に刺して高く掲げ、
「外国のことは知らないが、日本で私に勝る者などいまい。見苦しい戦いはやめよ」
と挑発し、どんどん敵陣に駆け込んでいきます。清氏に立ち向かっていく者は、馬ごと尻もちをついて倒れたり、兜を割られたりして次々とやられていきました。
さらに清氏は、真壁孫四郎(まかべまごしろう)と伊賀高光(いがたかみつ)の2騎が退却しているのを目にします。清氏はこれに追いついて斬ろうとしたところ、たまたま近くにいた幕府方の郎党が清氏の乗っていた馬の胸元を刀で突き、清氏は倒れます。
清氏が立ち上がり、真壁の馬を奪おうと近づきます。真壁はあっという間に清氏によって馬から引き落とされてしまいました。いかな剛勇清氏といえども、もはや絶体絶命です。
