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日本人の物語01142【南北朝後期】白峰合戦 清氏対頼之

細川家の従兄弟対決です。豪快キャラの清氏と冷静キャラの頼之。実に対照的な二人です。

 南朝方に寝返った執事・細川清氏が第七次京都合戦の後、四国に逃亡したことについては既に述べました。その後の状況について追いかけていきましょう。
 清氏は
「まずは四国を征服し、力を蓄えてから都に攻め上ろう」
と考えていました。清氏が讃岐で兵を募ったところ、親族が徐々に集まってきて5千騎程度になりました。
 一方、清氏の従兄弟である頼之はその頃、山陽道の南朝軍を鎮圧するべく備中国に滞在していましたが、清氏が讃岐にいると知って千騎で四国にやってきました。
 頼之は母・黒沢禅尼(くろさわぜんに)を清氏の元に派遣して、こう伝えました。
「将軍が讒言をお聞きになって、よく確かめもしないまま清氏殿を処罰しようとなさったことは事実であり、それを恨むのは無理もないことです。しかし、だからといって多年の忠義を捨てて敵方に降ったことは、あまりに不義理といえましょう。私は清氏殿と戦う気にはなれません。今はとにかく、幕府方に戻ってきてください。領地などは以前と同じように保証されるよう、私が取り計らいます。もしそれをも拒否して引き続き天下を転覆しようとするなら、私はやむなく備中に戻ります」
 つまり、和睦しようということです。
 清氏はこれを信じて具体的なやり取りを始めますが、その間に頼之は軍勢を整えたり城を築いたりして、鎮圧の準備を進めました。頼之の和睦は虚偽だったのです。
 清氏の城は白峰の麓(香川県坂出市)なのに対し、頼之の建てた城は歌津(香川県宇多津町)にありました。極めて近距離です。どちらから攻めかかるか、様子を窺っているうちに、頼之方の兵たちの兵糧がなくなってきました。清氏方は四国出身者が多かったのに対して、頼之方は遠国からの兵が多く、食糧を入手できなかったのです。
 頼之方が「このままでは持ちこたえられない」と困っていたところに、備前からやって来た南朝方・飽浦信胤が海上から清氏の救援にやって来ました。飽浦信胤といえば、高師秋のせいで幕府を裏切り南朝方に降った人物でしたね(00962回参照)。
 その飽浦信胤が海上を封鎖したため、幕府方の兵たちは勝ち目がないと恐れて徐々に頼之軍から逃亡していきます。それに対して清氏方の兵は徐々に増えていきます。
 虚偽による時間稼ぎに成功した頼之ですが、にらみ合いが続くうちに形勢はどんどん不利になっていきます。しかし頼之には起死回生の策があったのです。

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