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日本人の物語00158【古墳】31代用明天皇

 敏達天皇の崩御を受けて、敏達天皇14(585)年9月5日に敏達天皇の弟・大兄皇子(おおえのみこ:?~587)が即位しました。用明天皇です。ちなみに用明天皇は聖徳太子の父に当たります。
 天皇の代替わり後も、蘇我馬子と物部守屋の対立は激化し、敏達天皇の葬儀においてさえ口喧嘩を起こす始末でした。
 葬儀において蘇我馬子が長めの太刀を身につけて弔辞を読んだところ、物部守屋はこれを
「大臣を見ろ。まるで矢で射られた雀のようだ」
とあざ笑いました。横から見ると、長い太刀が体を貫いているように見えたので、これを笑ったのでしょう。
 続いて物部守屋が弔辞を読む番です。守屋は悲しみのあまり、弔辞を読みながら手足を震わせました。すると蘇我馬子は
「大連が震えておるぞ。鈴をつけたらよく鳴るだろうに」
と言って笑いました。
 この両者のセリフを、私は『少年少女まんが日本の歴史』(小学館版)で読んだのですが、これが日本書紀という公式歴史書に記載されたセリフだと知ったときは驚きました。天皇の葬儀だというのに、何と不謹慎な人たちなのでしょう。この時代、豪族たちの力があまりに強く、天皇の権威は地に堕ちていたようです。(その権威を取り戻すのが、この後起こる大化の改新なのです。)
 葬儀の後も、両者の対立は止まりません。当時、前天皇の葬儀が終わったら、その死を弔うために皇后が天皇の遺体とともに数日間過ごし、「もがり」と呼ばれる儀式を行う習慣がありました。その「もがり」を行うため、用明天皇元(586)年5月、敏達天皇の遺体安置所に、皇后の炊屋姫(かしぎやひめ:後の推古天皇:554~624)が詰めていました。
 するとそこに、敏達天皇の弟に当たる穴穂部皇子(あなほべのみこ:?~587)が押し入ってきたのです。炊屋姫を犯そうという目的でした。これはもはや、不謹慎を通り越して犯罪ですね。
 なぜ穴穂部皇子はこんな乱暴な振る舞いをしたのか。諸説ありますが、
「自分にも皇位継承権があるのに、なぜ私を推薦してくれなかったのか」
と不満を抱いた可能性があります。そうだとしても天皇の未亡人を強姦するというのはあまりにひどい発想ですが。
 幸い、遺体安置所を警護していた三輪逆(みわのさかし:?~586)が兵を率いて穴穂部皇子を追い出したので、炊屋姫は難を逃れました。しかしこの一件により、穴穂部皇子は三輪逆に遺恨を抱くのです。

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