日本人の物語00622【鎌倉前期】実朝暗殺 凶行*
さて、実朝一行は本殿での右大臣拝賀の儀を終えて、石段を降り始めました。そこに突然、木陰に隠れていた公暁たちが飛び出し、
「親の仇はかく討つぞ」
と襲い掛かりました。実朝とその傍にいた仲章はたちまち斬殺され、首を落とされました。
このとき、公暁が隠れていたとされる銀杏の木は「隠れ銀杏」と呼ばれ、鶴岡八幡宮のシンボルとして長年親しまれていましたが、残念なことに平成22(2010)年に強風で倒れてしまいました。
ただ、この「隠れ銀杏」の逸話の初出は、徳川光圀(とくがわみつくに:1628~1701)が延宝2(1674)年5月に鎌倉を訪れた際に地元民から聞いた話をまとめた『鎌倉日記』ですので、どうやら史実ではなさそうです。
さて、将軍暗殺の知らせを聞いた御家人たちは慌てて現地に駆け付けますが、公暁たちを見つけることができません。そうこうするうちに、三浦義村の屋敷に公暁の使いと名乗る者が現れ、公暁の伝言を伝えてきました。
「今、将軍はいなくなった。私こそが関東の長にふさわしい。早く取り計らうように」
というのです。
三浦義村は
「迎えを出すので、家まで来てほしい」
と返答しつつ、これを義時に報告しました。義時は
「すぐに誅殺すべし」
と回答し、公暁を三浦宅におびき寄せて殺すこととなりました。三浦義村は、家臣・長尾定景(ながおさだかげ)を迎えの使者と称して公暁をおびき出し、定景の手で公暁を斬り殺させたのです。
吾妻鏡の記述通りに事件の展開を述べてきましたが、あまりに不思議なことだらけです。謎の多い事件ですが、
・公暁の犯行動機は何だったのか
・公暁の標的は誰だったのか
・義時の急病は事実だったのか
・公暁が三浦を頼った理由は何か
・事件の黒幕は誰か
といった点を考えてみたいと思います。

