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日本人の物語00282【平安前期】歌人伊勢 仲平と時平

 古今和歌集を紹介したついでに、時平との恋歌で知られる10世紀を代表する歌人・伊勢(いせ:872?~?)を紹介したいと思います。
 伊勢は貞観14(872)年頃、藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)の娘として生まれました。藤原氏といっても格式はそれほど高くなく、下級貴族といったところでしょう。
 伊勢は仁和4(888)年頃に、宇多天皇の女御にして時の権力者・藤原基経の娘に当たる藤原温子(ふじわらのよしこ: 872~907)のもとに出仕しました。「伊勢」とは出仕の際に父・継蔭が伊勢守の役職に就いていたことから付けられた名前です。
 この温子に仕えたことが、伊勢の運命を大きく変えることになりました。出仕から程なくして、温子の弟である藤原仲平が、伊勢を見初めて求婚してきたのです。
 伊勢は満更でもなかったようですが、両親はひどく反対しました。仲平は藤原氏の嫡流たる基経の息子ですが、それに比べて伊勢は北家藤原氏の分家も分家。「身分が違いすぎる」というのです。
 伊勢は両親の反対を押し切って結婚しましたが、夫・仲平はその後伊勢を捨てて右大臣・源能有(みなもとのよしあり:845~897)の娘に婿入りしてしまいました。伊勢は失意のあまり大和国(奈良県)の父の実家にしばらく身を置きます。
 さて、大和に滞在中の伊勢に仲平の兄・藤原時平から手紙が届くようになります。これが伊勢にとって第二の恋の始まりでした。
 時平からの手紙には、恋歌が書かれていました。
「ひたぶるに 思ひなわびそ 古さるる 人の心は それぞ世の常」
(一途に思い苦しまないでください。捨てられてしまった人が苦しいと思うのは、普通のことなのですから)
 伊勢からの返歌はこれです。
「世の常の 人の心し まだ見ねば なにかこのたび 消ぬべきものを」
(普通のことかどうかなんて、私はまだ経験したことがなかったので分かりません。とにかくこのたびのことで、消え入りたいような思いです)
 この手紙を受け取ったことで伊勢は温子のいる京へ戻り、時平との恋愛が始まるのですが、これも長くは続かず、捨てられてしまったようです。時平にしても仲平にしても今を時めく最高権力者の家系ですから、「下級貴族の娘と適当に遊んで捨てる」ということは頻繁に行われていたのでしょう。

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