日本人の物語01464【室町/西国/大乱前夜】下手人を出せ
塩野七生の『ローマ人の物語』にあやかって、百田尚樹が『モンゴル人の物語』を書いているそうですね。この連載のタイトルも『日本人の物語』にしようかな。
文安5(1448)年7月21日。不思議な事件がありました。歴史上重要な出来事でも何でもありませんが、当時の武士のリアルを知れる貴重なエピソードなので紹介します。
この日、細川持常の近臣・七条某が召し使っていた従者が辻斬りに殺されました。その従者の母親は、七条邸で
「息子を殺したのは飯尾加賀入道の家来です」
と泣き叫びました。飯尾加賀入道とは幕府の奉行人・飯尾為行(いのおためゆき)のことで、身分は武士ではありますが主に法曹関係を取り仕切っていた司法官僚です。
七条某は怒って飯尾邸を攻めようとしますが、細川持常はこれを制して飯尾邸に使者を送り、事実か否かを確認しました。使者の訪問を受けた飯尾為行の次男・四郎左衛門(しろうざえもん)は持常邸に赴き、全くあずかり知らぬことと弁明しましたが、このとき持常は深酒していたため四郎左衛門に会おうともせず、下手人を差し出すよう飯尾家に要請しました。
四郎左衛門が
「事件に関係ない以上、下手人は出せない」
と述べると、持常は細川一族の惣領である勝元に訴えます。勝元は飯尾邸に使者を派遣して
「関係がないにせよ、下手人を出してもらえれば穏便に済ませる」
と言ってきました。これが当時の武士の感覚なのでしょう。事実かどうかではなく、うちの面子を立ててくれというわけです。しかし四郎左衛門はいかにも司法官僚らしく、
「そもそも犯人でないのだから、犯人は出せない」
と当然のことを繰り返すだけでした。
勝元は義政に訴えました。義政は飯尾四郎左衛門を呼び出し、なんと
「お前たちが犯人でないことは分かったが、下手人を差し出して無事に解決せよ」
と述べました。将軍(まだ就任前ですが)にとっても、管領家が言ってきた以上は管領家の面子を優先させるのが当たり前のようです。四郎左衛門はなおも
「関わり知らないことで下手人を出したとあっては弓矢の義理が立ちません」
と言って粘ります。
義政と勝元からしつこく迫られ、飯尾家は7月23日の夜、遂に「下手人」なるものを差し出しました。細川持常はその「下手人」を一目見ただけですぐに飯尾家に帰し、七条某は不満を示したものの持常がその説得に当たりました。最初から罰するつもりはなかったようです。
意に沿わぬことをさせられた四郎左衛門は、抗議のため髻を切って遁世してしまいました。
真実よりも面子を優先させる室町武士に対し、あくまで論理的に抵抗した飯尾四郎左衛門は、真に司法官僚に向いた人間だったといえるでしょう。
今日はヤクザ映画みたいな話でしたね。
話が通じない相手が多く、書いていてイライラしてしまいました。
