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日本人の物語01244【室町/義満期】斯波義将、三度目の管領に

歴代将軍はもちろん、鎌倉時代の歴代執権は覚えているんですが、室町時代の歴代管領や江戸時代の歴代老中はさすがに覚えてないですね。覚えてる人いるのかなあ。

 明徳4(1393)年4月26日。後円融上皇が崩御しました。義満との関係に苦慮したものの従兄(栄仁親王)との皇位争いには辛くも勝利し、息子(後小松天皇)に皇位を継承できたわけですから、きっと満足していたでしょう。
 そして明徳4(1393)年6月には細川頼元が管領を辞任し、その後任には斯波義将が返り咲きました。おそらく、頼之が死去したことでその養子の頼元は後ろ盾を失ったということでしょう。
 これまでの歴代管領を見ていくと、次のとおりです。
〇初代:斯波義将(在任1362~1366)
 2代将軍義詮は、南朝方に寝返った斯波高経を幕府方に引き戻すため、いわば懐柔するために高経の子・義将を管領にしたのでしたね。就任時の義将は12歳であり、まさかこの時点で義将が幕府を背負って立つ人材になるとは誰も思わなかったでしょう。4年後、父高経が再び幕府を裏切ったことから、息子義将もあわせて失脚しました。
〇2代:細川頼之(在任1367~1379)
 義満が最も信頼した人物で、有力守護への統制を強め、南北朝時代を終わらせるための布石を打ちましたが、斯波派が起こした康暦の政変により失脚しました。
〇3代:斯波義将(在任1379~1391)
 二度目の就任です。父・高経の手を離れて独り立ちした斯波義将は、細川派を追い落とそうと様々に画策しましたが、上手くいきませんでした。義満が頼之を京に呼び戻したことで義将はまたもや失脚します。
〇4代:細川頼元(在任1391~1393)
 義満が頼之を呼び戻したものの、頼之自身は既に出家していたのでその養子(弟)を管領に据えたものです。しかし頼之ほどの個性を発揮することはなく、頼之が死去したことで後ろ盾を失い、失脚しました。
〇5代:斯波義将(在任1393~1398)
 義将が3度目の管領に就任しました。
 歴代管領を見ていくと分かるように、つまり細川派と斯波派の内紛がずっと続いているということです。義満はもちろん細川派の味方なわけですが、結局最後まで斯波派を滅ぼすには至りませんでした。恐らく3度目の管領就任に当たって、斯波義将が細川派の打倒を諦め、共存の道を探り始めたためでしょう。義満と斯波義将は一定の緊張関係を保ちながらも袂を分かつことはなかったのです。

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