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日本人の物語01426【三山】察度の出自と結婚

大親と書いて「うふや」と読んだり、眞鍋樽と書いて「まなんだるー」と読んだり、日本の漢字の読み方に慣れている人間にとっては驚く読み方が多いです。

 人々から擁立され、王位に就いた浦添按司・察度とはどんな人物だったのでしょうか。まずは察度の父に当たる奥間大親(おくまうふや)の生涯から見ていきましょう。
 奥間(沖縄県中城村)で産まれ育った貧しい農夫・奥間大親は、やがて謝名村(沖縄県宜野湾市)に移り住みましたが、ある日森を歩いていると泉で水浴びをしている天女を見つけます。奥間大親は咄嗟にそこにあった天女の羽衣を隠し、困った天女に
「羽衣が見つかるまで私の家にいるといい」
と言って家へ連れていき、そのまま夫婦となりました。
 二人の間には一男一女が産まれますが、あるとき娘が
「お母さんの羽衣は、倉の中にある」
という子守唄を歌っているのを聞いた天女は、倉から羽衣を見つけ出してそのまま天上界に帰ってしまいました。
 これは日本各地によくある羽衣伝説で、天女の産んだ男子がその後菅原道真などの有名な人物になるケースも多くみられます。謝名村に伝わる伝説では、この男子が察度王となるわけです。この伝説にあやかって、宜野湾市海浜公園では毎年8月に羽衣祭りが行われています。
 成長した察度は畑仕事もせず、釣りをして遊んで暮らしていました。ある日察度は、勝連城(沖縄県うるま市)を拠点とする勝連按司の娘・眞鍋樽(まなんだるー)がとびきりの美女であると聞いて興味を持ち、訪ねていって面会を求めました。
 勝連城の門番は薄汚い察度の姿を見て「乞食がやって来たぞ」と嘲笑しますし、面会してくれた勝連按司も、薄汚い察度が娘との結婚を望んでいると聞き、
「気の触れた奴だろう。追い出せ」
と指示しました。しかし眞鍋樽は
「あの人に嫁入りさせてください」
と言い出し、父を驚かせました。
 勝連按司は
「今まで良い縁談もたくさんあったのに、それを断っておいて、こんな卑しい男と一緒になるとは。これでは物笑いの種だ」
とひどく反対しますが、眞鍋樽は
「この人の顔つきは一見卑しく見えますが、実際には並の男ではありません。後々大成するはずです」
と真剣に述べるので、父も気になって占わせてみたところ、「察度は将来王になるだろう」との結果が出たことから、喜んで結婚を認めました。

主人公が大した努力もせず遊んで暮らしているというストーリーがいいですね。

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