見出し画像

日本人の物語00703【鎌倉後期】鎌倉後期概観

 北条時宗が死去し、子の貞時が執権職を継いだ弘安7(1284)年から、倒幕の兵が挙がる元徳3(1331)年までの47年間を「鎌倉後期」としてまとめます。
 この時代の天皇は次のとおりです。
・第91代後宇多(ごうだ): 在位1274~1287(大覚寺統)
・第92代伏見(ふしみ): 在位1287~1298(持明院統)
・第93代後伏見(ごふしみ): 在位1298~1301(持明院統)
・第94代後二条(ごにじょう): 在位1301~1308(大覚寺統)
・第95代花園(はなぞの): 在位1308~1318(持明院統)
・第96代後醍醐(ごだいご): 在位1318~1339(大覚寺統)
 持明院統(後の北朝)と大覚寺統(後の南朝)がほぼ交互に即位しており、激しい対立が見て取れます。
 一方、歴代将軍は次のとおりです。6代宗尊親王から最後まで親王将軍が続きます。
・7代惟康親王: 在職1266~1289
・8代久明親王: 在職1289~1308
・9代守邦親王: 在職1308~1333
 さて、将軍を補佐すべき立場にある執権は次のとおりです。
・9代北条貞時: 在職1284~1301
・10代北条師時: 在職1301~1311
・11代大仏宗宣: 在職1311~1312
・12代北条熙時: 在職1312~1315
・13代普恩寺基時: 在職1315~1316
・14代北条高時: 在職1316~1326
・15代金沢貞顕: 在職1326
・16代赤橋守時: 在職1326~1333
 執権が短期間でコロコロ変わっていますが、この時代の執権は傀儡と化し、「得宗」と呼ばれる北条氏の嫡流が実権を握る時代となっていました。つまり「時頼→子の時宗→孫の貞時→曽孫の高時」と続く得宗(北条代々の長男)が権限を掌握し、執権には北条の分家の者を就任させて何らの権限を持たせないという政治体制になっていたのです。ただし高時の時代になると、得宗本人ではなくその側近たちが実権を握ります。得宗の側近を御内人(みうちびと)と呼び、その筆頭を内管領(ないかんれい)といいます。
 平安時代からの政治史を見ると、
「天皇→摂関→上皇→平氏→源氏将軍→執権→得宗→内管領」
と権力者が次々と移り変わっていったわけで、本当に日本史は難しく奥が深いなあと感心させられます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集