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日本人の物語00510【平安末期】屋島の戦い 弓流し

 那須与一が扇の的を射るのを成功させ、感極まった平家方の老兵が、舟の中から出てきて舞い始めました。それに対して伊勢三郎義盛が
「ご命令だ。あれも射よ」
と那須与一に命じました。
 那須与一は、扇に続いてその舞っている老兵に向けて矢を放ち、首を射られたその老兵は舟底へ落ちていきました。敵味方なく盛り上がっていた場に、再び戦闘が始まります。
 平家方の3騎が陸に上がり、源氏方に「来い」と言って身構えました。源氏方の5騎がこれに挑みかかりますが、いずれもやられてしまいます。
 平家方の3騎のうちの1騎は、剛力で知られ「悪七兵衛(あくしちびょうえ)」の異名をとる伊藤景清(いとうかげきよ:?~1196?)でした。景清は源氏方の美尾屋十郎(みおやじゅうろう)の兜に手をかけ、錣(しころ:兜のうち後頭部から首を守るための部位)を素手で引きちぎってしまいます。まさに怪力です。
 平家方の武士たちが、
「悪七兵衛を討たせるな」
と叫びながら、次々と陸に上がってきました。その数は200騎程度。一方、源氏方は80騎程度でそれに立ち向かいました。
 大将たる義経もまた、渚に深く入り込んで戦いますが、弓を引っ掛けて落としてしまいます。大した弓でもないのに、義経はそれを拾おうと無理をして、波に流されていく弓をどうにか拾い上げました。
 周囲が
「なぜ命を危険にさらしてまでその弓をお取りになったのですか」
と尋ねると、義経は
「大した弓ではないからだ。敵に拾われれば、義経の弓はこの程度かと笑われるだろう。嘲られては無念なので、無理をしてでも拾ったのだ」
と答えました。この答えに人々は感嘆したといいます。このエピソードは「弓流し」として語り伝えられることとなります。
 結局、戦いは源氏方の勝利に終わりました。日が暮れて、源氏方は周辺で野宿をしました。皆が疲労のため熟睡している中、義経と伊勢三郎義盛は一睡もせず、敵の夜襲に備えていました。
 一方平家方はというと、平教経が夜襲の準備をしていたのですが、誰が先陣を切るかを争っているうちに夜が明けてしまい、平家は貴重なチャンスを失ってしまったのでした。

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