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日本人の物語01425【三山】英祖王朝

やっと名君らしき人が登場しました。この英祖は多分、沖縄県浦添市ではそこそこ有名なはずです。多分……。

 英祖王朝が始まりました。英祖は国の繁栄を築いた名君で、その誕生の様子からして伝説的です。
 英祖の母は、上帝(天界にいる最高神)の夢を見て妊娠しました。そこで人々は英祖を太陽の子を意味する「日之子(てだこ)」と呼びました。今も英祖の出生地である沖縄県浦添市では「てだこまつり」が行われるほか、市民ホールは「てだこホール」と呼ばれ、「てだ子」というマスコットキャラクターがいます。
 英祖はさっそく地方を巡視し、田畑の境界線を定めたり法制度を整備したりしました。その結果、1264年には久米島(沖縄県久米島町)や慶良間諸島(沖縄県渡嘉敷村・座間味村)、伊平屋島(沖縄県伊平屋村)などが英祖に朝貢を申し込んできました。さらに1266年には奄美大島(鹿児島県奄美市)までもが朝貢してきました。農業生産力を高めて領土を拡大した英祖は、実在可能性が一定程度ある最初の王であり、まさに琉球の祖といえるでしょう。
 その英祖は1299年、70歳で崩御しました。
 続いて英祖の長男の大成(たいせい:1247~1309)が2代国王に即位しました。特段の事績は残っておらず、「慎み深く、仁義をもって人に接した」とあるだけです。在位9年、1309年に62歳で崩御しました。
 続いて大成の次男の英慈(えいじ:1268~1313)が3代国王に即位しました。これまた事績は記録されておらず、「旧例を遵守して政治を行い、物静かで賢かった」とあります。在位4年、1313年に45歳で崩御しました。
 続いて英慈の四男の玉城(たまぐすく:1296~1336)が4代国王に即位しました。玉城は好色家である上に狩猟を好み、政治を疎かにしたため、按司たちが従わなくなり、遂に琉球は三つに分かれてしまいました。つまり
・南部では大里(うふざと:沖縄県南城市)の按司だった承察度(しょうさっと:?~1394?)が独立して「南山王」
・北部では今帰仁(なきじん:沖縄県今帰仁村)の按司だった怕尼芝(はにじ:?~1395)が独立して「北山王」
とそれぞれ名乗り始めたのです。こうして玉城は、浦添城を中心とする中山地方だけを統治する「中山王」になり下がってしまいました。玉城は南山と北山を制圧しようと軍を繰り出しますが、決着がつきません。
 1336年に玉城が崩御し、子の西威(せいい:1328~1349)が8歳で5代国王に即位しましたが、幼い王は母親の傀儡となってしまいました。中山の凋落ぶりはひどく、西威が1349年に21歳で崩御したとき、人々はその遺児(5歳)を王位に就けるのではなく、浦添按司の察度(さっと:1321~1395)を擁立しました。こうして英祖王朝は5代で滅びたのです。

遂に察度が登場しましたが、これがかなり面白い人物なのでご期待ください。

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