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日本人の物語01500【室町/西国/大乱前夜】文正の政変 戦略ミス

記念すべき1500回、なんですがストーリー的にはキリが良いとは言えません。

 伊勢貞親は、自らの養育する義尚が速やかに次期将軍となることを望んでおり、そのために義視の排除を図ることは理解できます。しかし貞親が「讒言」という強引な手段に打って出たのは、緊急の必要があったためでしょう。つまり、このままでは貞親自身が排除されるおそれがある状況に追い込まれていたものと思われます。
 この時点で貞親が抱えていたトラブルは、次の2点です。
①武衛騒動
 貞親は斯波義敏を支持して義廉を追放したため、宗全の怒りを買っていた。この点について細川勝元は味方である。
②将軍家家督問題
 貞親は義尚を支持していたため、義視の後見人である細川勝元と対立していた。この点について山名宗全はさほど関心を持っておらず、敵でも味方でもない。
 特に①について宗全は激怒しており、強硬に貞親排除を訴えています。
 つまり貞親としては②よりも①こそが喫緊の課題であり、宗全の魔の手から身を守るために、勝元を味方につけるべきところなのです。にもかかわらず、なぜか貞親は先に②を解決しようとして義視排除を訴え、勝元を敵に回して勝元によって追放されてしまったのです。ひどい戦略ミスといってよいでしょう。
 想像するしかありませんが、貞親は細川勝元と山名宗全の間に微妙な隙間風が吹いていることを把握できておらず、両者が一体となって自分の排除を図っていると誤認したのでしょう。そしてその首魁が義視であるとすら考えていたのではないでしょうか。急いで義視を排除しようと焦った貞親は、将軍義政に讒言したものの、失敗して自滅したのです。
 政所執事として実権を握っていた貞親は
「私こそが将軍第一の側近だ」
との強い自負を持っており、義視・勝元・宗全を一度に失脚させることができると思っていたのでしょう。しかし勝元の政治力を舐めてはいけません。勝元にかかれば、貞親を一夜にして罪人に転落させることなど訳もないことでした。
 ただ、貞親の罪は一人限りのもので済ませることができました。政所執事の職を嫡男・伊勢貞宗に継がせることは認められたのです。貞宗は今後も将軍や御台所の側近として働きますが、その働きぶりはひたすら真面目であり、貞親のような謀略家にはなりませんでした。
 また、貞親の自滅は「斯波義敏の失脚」という思わぬ副産物を生み出しました。斯波家は実に3度目の家督交代となり、ますます混乱に拍車をかけたのです。
 以上のとおり、武衛騒動をめぐって宗全が「貞親を葬ってやる」と心に決めた直後に、まさに貞親が失脚したわけで、事態は宗全の望む方向に動いています。

文献が少ないせいでよく分かっていないものを想像して推理したところで、あまり有用な結論は得られないですね。無駄に考察し過ぎたかもしれません。

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