日本人の物語00267【平安前期】56代清和天皇
仁寿4(854)年8月28日に左近衛大将に任じられた藤原良房は、斉衡4(857)年2月19日、遂に太政大臣に上り詰めました。職員令に
「太政大臣には並の人を任命してはならない。適格者がいない間は空席にすべき」
と書かれているように、太政大臣とは常駐の役職ではありません。
事実、生前に太政大臣になったのは、大友皇子、高市皇子、藤原仲麻呂、弓削道鏡の4人しかいませんでした。(藤原仲麻呂については「太師」、弓削道鏡については「太政大臣禅師」という役職名ですが、まあ太政大臣相当です。)
藤原良房は史上5人目ということになります。それだけ大きな権力を握ったということでしょう。
さて、良房の立場からすると、皇太子・惟仁親王が早々に即位してくれると、太政大臣でありながら天皇の外祖父にもなり、権勢をほしいままにすることができます。
これまでも藤原氏の有力者が娘を天皇に嫁がせ、その間に産まれた子が次の天皇になったケースはありました。しかし、外祖父が存命中に孫が天皇に即位したことはありませんでした。幼少の天皇が即位するケースが少なかったためでしょう。
しかし、運命は良房に味方しました。
天安2(858)年8月27日、文徳天皇が31歳の若さで崩御し、僅か8歳7ヶ月の惟仁親王が即位したのです。清和天皇です。神話時代の人物である武烈天皇を除くと、初めての幼少天皇ということになります。
これにより、良房はこれまで誰も就いたことのなかった高み、天皇の外祖父として最高の権力を手にすることとなりました。
貞観6(864)年。清和天皇は14歳で元服しました。
貞観8(866)年8月19日。藤原良房に「天下の政を摂行せよ」との勅が下りました。
「摂行」を辞書で調べると、「その職務を行うべき人に代わって職務を行うこと」と書かれています。つまり
「天皇に代わって政務全般をみよ」
という趣旨で、およそ全ての政治権力を手にすることとなります。これをもって、良房が摂政に就任したものとみなされています。
藤原良房は、史上初めて人臣摂政となった人物です。つまり、初めて臣下(皇族ではない者)でありながら摂政に就任したということです。
この後、藤原氏から何十人もの摂政・関白が生まれ、藤原家は「摂関家」と呼ばれ、「摂関政治」と呼ばれる政治体制が確立していくのですが、その先駆けとなったのが良房なのです。
