日本人の物語00429【平安後期】忠通の死
ここで、関白を引退して隠居生活を送っていた藤原忠通の晩年について紹介しておきましょう。
藤原信頼と対立したことで引退を強いられた藤原忠通でしたが、その後平治の乱で信頼が処刑されたことで一時的に復権していました。その後、応保2(1162)年に高齢を理由に引退し、出家しました。
正妻にも愛妾にも先立たれていた忠通は、晩年には五条(ごじょう)と呼ばれる女房を寵愛していました。多くの女性を遠ざけて別居していたものの、五条だけは変わらず愛し続けたといいます。
ところが長寛元(1163)年の暮れに、大事件が起こります。五条の異母兄に当たる源経光(みなもとのつねみつ)という人物が、白昼堂々、不敵にも五条の居宅に入って行ったのです。
早百合葉(さゆりは)という雑仕女が
「何やら怪しい気配がします」
と忠通に報告したため、忠通は急いで五条の部屋に向かいます。
そこで目にしたものは、なんと兄妹でまさに情交に及んでいる現場でした。
忠通は経光を追い払いましたが、その後、愛する女房の背信にひたすら苦悶し続けました。五条に一切会わなくなったといいますが、心のうちでは五条を思い続けていたのでしょう。
そして、瞬く間に憔悴していき、翌長寛2(1164)年2月にこれが原因で死去したといいます。
このエピソードを聞いたとき、私は「当然に後世の創作だろう」と思いました。しかし調べてみると、なんと出典が藤原定家の日記『明月記』なのです。
同時代の人物がその日に書いている史料ですから、忠通の死因が愛妾の不倫にあったというのは史実なのでしょう。あるいは史実でないとしても、少なくともそのような噂が同時代の人々の口に登っていたのでしょう。
平安時代の研究家として名高い角田文衛氏は、著書『平安の春』で次のとおり述べています。
「この姦淫が彼の死を招いたというのは、陰険かつ不敵な政治家であった忠通を知る者には、いささか意外である。功成り名遂げて引退したのちの忠通は、繊細な文人と化していたのであろうか。それとも彼の精神は、肉体の老耄につれて、そうした衝撃に耐えぬほど衰朽していたのであろうか」
