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日本人の物語01019【南北朝前期】尊氏、自害を覚悟す

尊氏が敗北して自害しようとする展開、もう書く方も飽きてきました笑。

 敗北した尊氏軍2万騎は、さほど広くない松岡城(神戸市須磨区)に逃げ込んでいったので、ぎゅうぎゅう詰めになってしまいました。
「元々から城に詰めていた者以外は出ろ」
と言われ、郎党たちは外へ出されてしまい、城門も閉じられてしまったので、元々士気の低かった者は
「執事(高師直のこと)のやりようはひどい。こんな方のために討ち死になどできようか」
と言って逃げていきました。これらの逃亡者たちは漁師に変装して破れた蓑を身に纏ったり、あるいは草刈りに身をやつして竹の籠を肩に掛けたりしながら逃亡しました。
 尊氏は師直・師泰兄弟を近くに呼んで
「ただ一度戦に負けたからといって逃げて行くとは、つまらぬ者たちだ。まさか命鶴丸(みょうづるまる)は逃げていないだろうな」
と尋ねました。命鶴丸とは尊氏の寵臣で、後に饗庭氏直(あえばうじなお:1335~?)と名乗る人物のことです。
 師直が「既に逃げました」と答えると、尊氏はさらに
「高橋、海老名六郎はどうだ。長井治部少輔と佐竹加賀は?」
と次々と尋ねますが、いずれも「それも皆逃げました」との回答でした。
 驚いた尊氏が
「では残っている軍勢はどれほどいるのか」
と尋ねると、師直の答えは
「今や味方の軍勢は、私の郎党と赤松範資の手勢で、せいぜい500騎に過ぎないでしょう」
とのことでした。
 尊氏は
「それでは今夜が最後だ。それぞれに支度をせよ」
と言って鎧を脱ぎました。主な家来たち23人は、尊氏が自害したら供をしようと、切腹の準備を始めました。
 別の部屋では、赤松範資が一族郎党32人とともに切腹の準備をしていました。範資は、当時13歳の息子・直頼(なおより:1339~?)に
「そなたはまだ幼いから、一緒に腹を切る必要はない。弟の則祐がそなたを養子にすることを約束しているので、赤松へ戻れ」
と指示したのですが、直頼はこれを拒否して、切腹すると言って聞きません。
 尊氏軍は皆、切腹を決意しているようです。室町幕府はここに滅びてしまうのでしょうか。

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