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日本人の物語01208【南北朝最末期】洪武帝への挑発

竹田恒泰氏の『日本国史(全2巻)』では、この洪武帝への挑発を日本人の矜持を示した快挙であるかのように宣伝されています。外交というのは彼我の国力をよく把握した上で行うべきと思うのですがね・・・。まあ結果オーライですが。

 かねてより「日本国王良懐(懐良親王)」と明の太祖・洪武帝との間で交流が行われていましたが、明史には良懐との驚くべきやり取りが記されています。
 良懐の使者として如瑶(にょよう)という僧が明に派遣された際、洪武帝は
「日本は朝貢をすると誓ったのにその後、特段の貢ぎ物がなく不誠実だ。倭寇の取り締まりも怠っている。これを正さなければ災いを受けるだろう」
と良懐を叱責し威嚇する国書を発しました。これに対して弘和元/永徳元(1381)年7月、良懐から洪武帝に大胆な書状が送られてきたのです。概ね次のような内容です。
「中華に君主がいるだけで、それ以外の国に君主がいないなどということがあるでしょうか。天地は広く、一人の君主だけが支配しているわけではありません。世界は大きく、多くの国に分かれており、決して一人の天下ではありません。私のいる倭国は遠く弱い小国ではありますが、『足る』を知っています。一方、陛下は中華の主となられ、多くの土地を手にしていながら『足る』を知らず、常に他を滅ぼし絶やすことを考えておられます。
 我が国のような小国も、敵から国を防衛する策があります。仮に陛下が軍を派遣されたとしても、山と海に囲まれた我が国は決して降伏することはありません。もし陛下が勝利すれば当面は心を満たすことができるでしょうが、もし我々が勝利すれば陛下は恥をさらすことになるでしょう」
 いやはや、日の出の勢いである大国・明に対してあまりに大胆な応酬です。しかしこの文書には2点の疑問があります。
①正平25/応安3(1370)年に明への朝貢・服従を決断したはずの懐良親王が、なぜ今になって朝貢を拒否し戦争をも辞さないなどと述べるのか。
②仮に晩年の懐良親王あるいはその後継者たる良成親王が送ったものだとしても、本拠地を失い宇土城(熊本県宇土市)に逃亡した良成親王が、このような文書を幕府にバレずに明に送り届けられるほどの経済力を保有しているのか。
 つまり、この良懐名義で書かれた文書は南朝方が送ったものではない可能性があります。例えば、南朝勢力と明が結びつくのを防ぐために今川了俊が一芝居打った可能性もあるのではないでしょうか。
 この挑発的な文書を受け取った洪武帝はひどく怒り、日本への遠征を検討しましたが、元寇での敗北を想起し、最終的には諦めたといいます。それにしても、日本の立場を危うくさせる怪文書ですね。真相の解明が待たれるところです。

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