日本人の物語01017【南北朝前期】打出浜の戦い 梶原二度駆け
「梶原の二度駆け」について再び取り上げます。平家物語と太平記で同じエピソードがあるとは面白いですね。
尊氏軍と直義軍の戦いが始まりました。まずは尊氏方の河津氏明(かわづうじあき)と高橋英光(たかはしひでみつ)率いる6千騎が、直義方の畠山国清の陣へ襲い掛かります。
畠山軍の兵たちは真正面からぶつかろうとせず、あちこちの藪の木陰に隠れながら河津・高橋軍に矢を浴びせて来ました。数に劣る畠山軍はこうした方法でしか対抗できないのでしょう。
河津・高橋軍の兵が次々と射られたので、河津は
「矢戦だけでは敵わぬ。太刀を抜いてかかれ」
と命令しました。河津・高橋軍が弓を捨て、太刀を抜いて敵の陣中に討って出ます。しかし畠山軍は矢を射て相手を弱らせたところに斬りかかり、不利になるとすぐに退くなどして翻弄して来ます。圧倒的に有利なはずの河津・高橋軍は次々とやられて行きました。
直義軍の石塔頼房は、まだ味方が善戦しているのを知らず、家臣に
「打出浜に旗が三本見えているな。敵か味方か見てこい」
と指示しました。家臣の原義実(はらよしざね)が近くまで駆けていき確認すると、旗の両端に赤い緒がついているのを見えました。つまり、尊氏軍の薬師寺公義の陣のようです。
「なるほど。どうやら敵なのだな」
と見てとった原義実は、扇を揚げて味方の軍勢の方に手招きをして、
「あそこに見えている軍勢は敵だぞ。どうやら正面の戦は味方側が勝ったようだから、次はあいつをやっつけよう。早く攻めかかれ」
と呼びかけました。これを聞いた石塔・上杉らの軍は、700騎で薬師寺軍にわっと攻めかかります。薬師寺軍の後ろに控えていた師直・師泰兄弟の軍は、少数の敵であるにもかかわらず、馬に鞭打って逃亡していきました。
師直・師泰軍の中にいた梶原孫六(かじわらまごろく)と梶原弾正忠(かじわらだんじょうちゅう:?~1351)の二人は、味方の勢いに引っ張られてしばらく逃亡していましたが、たった2騎で引き返して敵の大軍の中に駆け込んでいきました。
孫六の方は、敵3騎を斬って裏へと駆け抜けて見事生還しました。
弾正忠の方は命を惜しもうともせず、何度も敵陣に駆け込んで戦ったので、遂に討たれてしまいました。戦が終わった後で
「あっぱれな剛の者だ。誰なのだろう」
と直義方の将が調べたところ、梅の花が一枝、矢筒の上に付いていたことから、
「これはかつて一ノ谷の合戦で二度も敵陣に駆け込んで名を揚げた梶原景時の末裔ではないか」
と判明したのでした。有名な「梶原の二度駆け」(00497回参照)が160年の時を経て再び行われたというお話です。
