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日本人の物語00232【奈良】宇佐八幡宮神託事件*

 神護景雲3(769)年。皇室を揺るがす大事件が起きました。宇佐八幡宮(大分県宇佐市)で「道鏡を皇位につければ世は平らかになる」との神託が出たという話が、都に伝わってきたのです。
 もちろん道鏡は皇室の人間ではありません。もし天皇の血筋でない者を天皇位に就けられるならば、天皇という存在が根本から崩れてしまいます。
 一体なぜこんな神託が出されたのでしょうか。普通に考えれば、道鏡との恋愛に夢中になった称徳天皇が、道鏡を喜ばせるために天皇位を譲ろうとしたということになります。しかし、周囲がどれだけ反対するか想像がつきそうなものです。
 逆に、藤原氏など道鏡の政敵が、道鏡失脚を図ろうとして捏造した神託だとの説もあります。この神託は、一見すると道鏡を持ち上げるものですが、逆に「僭越にも皇位を狙っている」と悪評をもたらすものでもあるからです。もしそうだとすると、昭和62(1987)年に皇民党と名乗る右翼団体が、竹下登の首相就任を阻止しようとして「日本一金儲けの上手い竹下さんを総理にしよう」と褒め殺し戦術を取ったのと似ていますね。
 この不思議な神託に対し、称徳天皇は側近の和気広虫に神託を確かめに行くよう指示しました。広虫は弟の和気清麻呂(わけのきよまろ:733~799)を推薦し、清麻呂が宇佐へ出向くことになりました。
 和気清麻呂が平城京を発ったとき、おそらく道鏡派と藤原派の双方から相当な工作がなされたことでしょう。「自らに有利な神託が出されたことにしてくれ」と双方から言われ、清麻呂は困り抜いたに違いありません。
 さて、宇佐に到着した清麻呂が受けた神託は、「臣を以って君となすこと、未だこれあらず。無道の人は宜しく早く掃き除くべし」というものでした。つまり、「臣下が天皇位についたことはない。道を外れた者は排除すべきである」というのです。
 和気清麻呂は、都に戻ってこのとおりに報告しました。すると称徳天皇は激怒して、清麻呂は姉・広虫とともに罰を受けることとなってしまったのです。和気清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられ大隅国へ、和気広虫は別部狭虫(わけべのさむし)と改名させられて備後国へ、それぞれ流されました。「清い」が「汚い」に、「広い」が「狭い」に変えられるというのは、何だか小学生が思いつきそうな改名ですね。
 和気清麻呂は後世、天皇家を救った英雄とされました。もしこのとき、道鏡が天皇位に就いていたら、天皇家の万世一系はここで途絶えていたといえます。それを阻止した清麻呂は天下の英雄だというのです。
 出身地である岡山県和気町には和気神社が建てられ、清麻呂を神と崇めるようになりました。大日本帝国期には、皇居前(現在の気象庁前)に像が立てられ、十円札の肖像にも描かれました。

大分県の宇佐神宮。和気清麻呂が通った道は「勅使街道」と呼ばれている。拝礼作法は、なぜか二礼四拍手一礼という珍しいものだった。2023年9月25日撮影。

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