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日本人の物語00519【鎌倉初期】鎌倉初期概観

 平家が滅亡して、いよいよ鎌倉時代に入るのですが、鎌倉時代とは一体いつから始まるのでしょうか。
 かつては、建久3(1192)年の頼朝の征夷大将軍就任をもって鎌倉幕府成立と考える見方が支配的でしたが、「征夷大将軍になれば幕府を開ける」という観念ができたのはもっと後世のことです。この時代にはまだ「幕府」という概念もありませんから、近年はより本質的に鎌倉を中心とした支配機構が成立した時点を選ぶべきと考えられています。
 では、何をもって支配機構が成立したといえるのか。多くの説があり、その主なものを挙げますと、
・治承4(1180)年12月12日: 鎌倉の大倉郷に頼朝邸を置いた時点
・寿永2(1183)年10月14日: 寿永二年十月宣旨で東国の支配権が認められた時点
・元暦2(1185)年3月24日: 壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした時点
・文治元(1185)年11月19日: 文治の勅許で守護・地頭の設置が許可された時点
・文治5(1189)年9月3日: 奥州藤原氏を滅ぼした時点
・建久元(1190)年11月24日: 頼朝が右近衛大将に任じられた時点
・建久3(1192)年7月12日: 頼朝が征夷大将軍に任じられた時点
といったところでしょうか。
 敵対勢力が消えたことと鎌倉を中心とした支配機構が成立したこととは直接の関係はありませんから、平家滅亡や奥州藤原氏滅亡は歴史学者から有力視されている区切り方ではありません。しかし、本稿は歴史を人間が織りなすストーリーとして叙述していく試みですから、ストーリーが大きく展開する平家滅亡時点をもって区切りたいと考え、あえて元暦2(1185)年3月24日をもって平安時代と鎌倉時代の境界とさせていただきました。
 チャプター名を「鎌倉初期」としたものの、研究者の視点によって平安と鎌倉のどちらにも分類され得る時代なのだと思っていただければ幸いです。
 この時代は、平家という巨大な政権を滅亡させた頼朝が、残る敵対勢力を葬り、基盤を固めていく時期といえます。猜疑心旺盛な頼朝が、義経という平家追討最大の功績者を葬り、さらには朝廷とのパイプを構築して公式に認められた権力基盤を立ち上げようとする過渡期です。
 義経の(おそらく後世に作られたであろう)悲劇的なエピソードが数多くあるので、できるだけ網羅していきたいと思います。

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