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日本人の物語00985【南北朝前期】尊氏・直義・師直の性格

noteでは毎日更新してる人は多く見るのですが、続き物を毎日更新してる人(つまり連載してる人)って意外と少ないですよね・・・。

 最高責任者たる尊氏を、政務担当の直義、軍事担当の師直が支えるという三頭政治は、そもそも3人の性格の相違からして対立の火種を孕んでいたといえます。
 対立軸の一つは「コンプライアンス重視か、利益重視か」という点です。例えば師直は
「恩賞にもらった所領が少ない」
と嘆く家臣に対して、
「その辺の寺社や本所の領土を勝手に切り取ればよい」
と助言したとの話が知られています。武士の利益のためには法令など破って良いというのです。また、罪を犯して所領を没収された武士が嘆いていると、師直は
「わしは知らん顔をしていよう。幕府からどんな命令が出ても構うものか。居座っておれ」
と述べたともいわれています。没収された所領に不法占拠しておけばよいというのです。
 一方、直義は殿ノ法印の家臣が略奪を働いた際、躊躇なく全員を斬首とするなど(00819回参照)、法令の厳格な適用を旨としていました。
 また、二人の性格は「天皇・皇族を尊重するか否か」という点でも大いに不一致を来します。既に紹介したエピソードですが、高師直は天皇について
「木か金で作って置いておけばよい」
と放言するほど(00954回参照)、既存の価値観にとらわれない人間でした。
 一方、直義は光厳上皇に暴行した土岐頼遠を死罪にするなど(00968回参照)、皇族・公家の庇護者として振る舞っていました。
 では尊氏の性格はどちらに近いかというと、師直の方でしょう。
 元弘3(1333)年8月1日の話です。当時「八朔」といって現代でいうところの「お中元」に当たる文化がありました。尊氏・直義のもとに多くの贈り物がなされましたが、直義は
「裁判を担当する者がこのような贈り物をもらうわけにいかない」
と言って、これを全て辞退しました。一方、大らかな尊氏はもらったものを全て家臣に分け与え、夕方には何も持っていなかったといいます。これは光明天皇の日記に残るエピソードで、光明天皇は直義の態度を称賛しています。
 もちろん、中には後世の創作もあるのでしょうが、前述のとおり北畠親房の手紙に二人の対立が書かれていたり、あるいは興国3/暦応5(1342)年2月5日付けの高師直の文書で、武士たちに病気の直義の見舞いを禁止したものが残っていたりするので、対立があったこと自体は間違いありません。
 ちなみに、見舞いを禁止する文書は「武士が京に集まることで生じる混乱を防止するため」という説もあり、必ずしも二人の対立を示すものではないとの説もあります。

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