日本人の物語00138【人代後期】21代雄略天皇
さて、安康天皇3(456)年11月13日に大泊瀬皇子が即位しました。雄略天皇です。皇后は幡梭皇女です。あの安康天皇が嫁探しをしてくれた結果、見つかった相手ですね。
雄略天皇については様々なエピソードがあります。その多くが雄略天皇の気性の激しさを物語るものです。
例えば雄略天皇が日下(大阪府東大阪市)に行った際、堅魚木(かつおぎ)を屋根に乗せている家を見つけました。堅魚木とは神社建築や天皇の宮殿にみられる屋根の飾りで、当時は庶民の家にみられるものではありませんでした。雄略天皇は激怒し、そこに住む大県主(おおあがたぬし:地方機関の長官)に
「家を天皇の御殿に似せて作るとは何事か」
と怒り、火をつけようとしました。
大県主が謝罪し、犬を献上したところ許されたというのです。なぜ犬なのか分かりませんが、家が豪華だというだけでひどく憤ったというのです。恐ろしいですね。
一方、こんなエピソードもあります。
雄略天皇が三輪山(奈良県桜井市)に行った際、美しい童女を見つけました。名を尋ねると、「引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)」といいます。
雄略天皇は召し抱えたいと考えますが、まだ童女なので、
「大きくなったら召し抱えるので嫁がずにいろ」
と命令しました。
ところが、雄略天皇はそれを忘れたまま、80年経ってしまいました。
待ち続けていた赤猪子は、参内して
「まだ呼ばれないのでしょうか」
と言います。雄略天皇は
「私がすっかり忘れていたせいであなたは無駄に盛りの年を過ごしてしまった。気の毒なことだ」
と述べ、まぐわいをしようか迷ったものの、相手があまりにも老いているため憚られ、仕方なく御製の歌や品物を贈ったというのです。
このエピソードでは、80年も経って童女はお婆さんになってしまったのに、雄略天皇の方は大して歳をとっていないようです。天皇は霊力によって老いないのでしょうか。いかにも神話らしい設定です。ちなみに、日本書紀によると雄略天皇の治世は457年~479年の22年間ですから、80年には満たず、矛盾があります。
それにしても「まぐわってやろうか迷った」とは一体何様なのでしょう。余程のイケメンなのでしょうか。ひどい物言いですね。
