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日本人の物語00739【鎌倉末期】滅亡の原因 地頭請と下地中分

 荘園領主と地頭の土地トラブルの解決方法は大きく2つありました。「地頭請(じとううけ)」と「下地中分(したじちゅうぶん)」です。それぞれ説明していきましょう。
【地頭請】
 地頭請とは、荘園領主が思い切って地頭に荘園の管理を任せてしまうという方法です。遠隔地にいる荘園領主が、現地にいる地頭の活動を牽制することは難しいですから、いっそ荘園領主が地頭の雇用主になった上で、言うことを聞かせようというわけです。
【下地中分】
 下地中分とは、荘園を半分に分割して、荘園領主と地頭それぞれで分け合うという方法です。言わば強盗に財産を半分くれてやるわけで、泣き寝入りに近い方法のようにも思われます。ただし、土地の半分をくれてやる代わりに、残る半分については一切の介入を拒否できるわけですから、まあ有用な方法だったのでしょう。
 地頭請も下地中分も、荘園領主側がかなりの譲歩を強いられる方法です。中にはこうした譲歩ができずさらなるトラブルに発展するケースもあり、そこに「悪党」が登場してくるのです。
 全国各地で荘園領主と地頭の紛争が起こり、地頭やその雇われ達の中には、武力でもって利益を確保しようとする者たちが現れました。これが「悪党」です。悪党とは、鎌倉時代後期に現れた「国の定めた規則に従わない者たち」の総称です。
 こうした悪党が横行し、やがては幕府による取締りが追い付かないほどに増えていきました。
 有名な悪党としては、
・河内国(大阪府南部)を拠点とする楠木正成(くすのきまさしげ:1294~1336)
・播磨国(兵庫県南西部)を拠点とする赤松円心(あかまつえんしん:1277~1350)
・伯耆国(鳥取県西部)を拠点とする名和長年(なわながとし:?~1336)
あたりを記憶にとどめていただければと思います。彼ら3人が後醍醐天皇を支援し、鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ悪党たちです。彼らは
「既存の政権を転覆すれば莫大な所領が得られるだろう」
と見込んで、倒幕運動に身を投じていったのです。(楠木正成については、近年の研究で悪党ではなく御家人だった可能性が浮上しています)
 なお、「悪党」とは決して「善悪」という価値判断を伴った表現ではありません。例えば私が持っている『少年少女まんが日本の歴史 人物事典』では、楠木正成は
「後醍醐天皇に味方した河内の悪党」
と説明されており、一見すると後醍醐天皇は犯罪者をかき集めたのかと思ってしまいますが、当時は「悪」という字に「非倫理的」という意味はなかったのでしょう。

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