日本人の物語00738【鎌倉末期】滅亡の原因 土地制度の行詰り
本章では鎌倉幕府滅亡を見ていくのですが、ここで滅亡の原因としてよく語られる3つの論点を紹介しておきましょう。
①悪党の横行
②惣領と庶子の対立
③御家人の不満
の3点です。まずは①から説明していきます。
①悪党の横行
土地制度の歴史を思い出していただきましょう。
元々、田畑は全て国のものであり、ここから得られる収穫には全て年貢が課されていました(班田収授法:00202回参照)。奈良時代に自ら開発した田畑の私有が認められたものの(墾田永年私財法:00220回参照)、あくまで相続と売買が認められただけで、年貢の納税義務は課されたままでした。
ところが「荘園」と呼ばれる私有地が拡大していくと、有力貴族や有力寺社が賄賂などを用いて年貢率の減免という特権を得るようになります。末端の百姓たちは私有地を次々と有力貴族・寺社に寄進することで、これら特権が拡大していきました。この寄進を受けた荘園の所有者のことを「荘園領主」といいます。
鎌倉時代には、土地制度がさらに大きく揺らぐこととなりました。鎌倉幕府は朝廷から委任を受けて、年貢を代理で徴収する権限を得たわけですが(寿永二年十月宣旨:00484回参照)、この権限を全うするために、幕府が荘園ごとに「地頭」を設置することも認められました(文治の勅許:00532回参照)。
本来は荘園領主が百姓から年貢を徴収して朝廷に納めるはずだったのが、幕府の委任を受けた地頭が横からしゃしゃり出てきて、年貢を徴収してくるのです。荘園領主はもちろん抵抗しますから、全国あちこちで荘園領主と地頭のトラブルが多発するようになります。しかも永仁の徳政令によってこうした土地訴訟を幕府は受け付けないこととされた(00713回参照)ので、これらのトラブルは自分たちで解決せざるを得ません。
荘園領主と地頭の対立においては、地頭が明らかに有利です。というのも、地頭は現地である荘園の近辺に居住しているのに対して、荘園領主は京周辺に居住して遠隔操作で荘園を管理しているに過ぎません。地の利が悪いでしょう。
このように圧倒的不利な状況下で、荘園領主は様々な方法で土地問題を解決しようとします。
