日本人の物語00198【飛鳥】天武天皇の諸改革*
天武天皇9(680)年。皇后・鵜野讃良皇女が病に倒れました。11月12日、天武天皇は平癒を祈念して薬師寺を建立します。
薬師寺といえば、奈良市内にある寺を思い浮かべることでしょう。しかしこのとき建設された薬師寺は、飛鳥から程近い場所で、現在の奈良県橿原市内にありました。後に平城京が遷都された際に、移築になったわけですね。
その後、鵜野讃良皇女は完治し、結果的に天武天皇よりもだいぶ長生きすることになります。
天武天皇10(681)年2月25日。「飛鳥浄御原令」という法令を作り始めました。またまた「律(刑法)」ではなく「令(行政法)」が制定されたわけですね。近江令に続く史上2番目の法律ということになりますが、近江令の存在自体がフィクションかもしれないので、そうすると史上初の法律となりますね。ちなみに完成するのは持統天皇3(689)年のことになります。
同日。草壁皇子が皇太子となりました。吉野の盟約のとおりに事が運んでいます。
天武天皇13(684)年10月1日。「八色の姓(やくさのかばね)」が制定されました。これは、真人(まひと)・朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなぎ)の8段階の姓を制定し、氏族ごとに与えたものです。冠位十二階の制定以来、有名無実化していた姓を再編したもので、豪族の要望に応じたものと考えられます。
天武天皇14(685)年1月21日。位階制度を改め、皇族の位階を12階に、豪族の位階を48階に再編しました。これは、身分の低い小豪族の出世の道をさらに広げたものでしょう。
この頃、国家的大事業が始まりました。古事記と日本書紀の編纂です。
当時、国家として公式歴史書の存在は必要不可欠でした。以前にも『天皇記』『国記』という歴史書が編纂されたことがあったのですが、所蔵していた蘇我蝦夷の館が乙巳の変で焼失したため、歴史書が失われていたのです。
天武天皇は、天皇家の私史として『古事記』、国家の公式歴史書として『日本書紀』の編纂を命じました。これが完成するのは奈良時代のことになります。
文献を見ると、この頃から「天皇」という名称や「日本」という国号が使われ始めたようです。それまでは天皇のことを「大王」、日本のことを「倭国」などと呼称していたのですね。「倭国」とは中国によって名づけられた国名であり、自ら名乗った国名ではありません。
白村江の戦いという対外戦争を経たためか、国家としての自覚が芽生え、国の基礎を築こうと模索している様子が窺えますね。
法令の制定、姓の制定、位階制度の改革、公式歴史書の編纂。いずれも国家としての骨格を作っていくために必要なものです。天武天皇は日本国の国際的地位を高めることに大いに貢献したといってよいでしょう。


