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日本人の物語01355【室町/義教期】看聞日記に見る義教

私の大好きな貞成親王の話です。気が弱くて愚痴っぽい。非常に共感できます。

 ここで伏見宮貞成親王の周辺に視点を向けてみましょう。貞成親王は日記『看聞日記』で、宮中や幕府の様々なスキャンダルや揉め事を取り上げてくれています。特に将軍義教の底知れぬ恐ろしさをふんだんに伝えてくれているのは『看聞日記』なのです。
 看聞日記の義教評をここにまとめておきましょう。
 永享3/正長4(1431)年3月24日: 「薄氷を踏む時節、恐るべし恐るべし」
 永享6(1434)年2月9日: 「天魔の所行」
 永享7(1435)年2月8日: 「万人恐怖。言うなかれ言うなかれ」
 永享9(1437)年11月6日: 「悪将軍」
 嘉吉元(1441)年6月24日: 「自業自得の果て」
 いやはや、貞成親王が義教を相当恐れていたことが分かります。ここでは時間をさかのぼって、この2人の最初の出会いから話を起こしていきましょう。
 貞成王が義教を最初に認識したのは、まだ親王宣下を受けていなかった頃の応永27(1420)年2月9日、嵯峨宝幢寺(さがほうどうじ:京都市右京区)の落慶供養のときでした。貞成王は知り合いに誘われて、いまいち気乗りしないままこの行事を見物に行きました。
 現地に牛車を止めて見物していると、途中で右前方に別の牛車が止まり、何も見えなくなってしまいます。貞成王は悲しみますが、例によって気弱なため文句も言えません。ただ、このときクレームをつけなかったことは大正解でした。貞成王の視界を遮ったのは、青蓮院義円(まだ僧であった時代の義教)の牛車だったのです。根に持つ性格の義教の機嫌を少しでも損ねれば、後でどんな不利益を受けていたか分かりません。
 そして二人が初めて会話したのは、翌3月初旬のことでした。義円が猿楽を見物するため伏見を訪問する旨を、あらかじめ貞成王に通達してきたのです。つまり一緒に楽しもうというわけです。
 当日、貞成王が酒肴を持って訪問したところ、義円は上機嫌となって夜中まで大宴会が開かれました。義円はすっかり二日酔いとなり、翌日も続けて行う予定だった猿楽見物をキャンセルすることとなりました。貞成王は翌日の日記に
「良かった良かった。今日も来られたら大変だった」
と記しています。
 この時点では、義円が将軍になるとは思いもよりません。しかし貞成王は義円に必要以上の気遣いをかけ、その結果義円からひどく好かれてしまいます。

貞成親王の日記は本当に面白いので、現代語訳して売ってほしいですね。

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