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日本人の物語01576【室町/西国/応仁の乱】文明飛騨の乱

未だに飛騨国に入ったことがありません。去年、岐阜県郡上市に行った際にそこは飛騨国内だろうと思っていたのが、調べると美濃国内でした。早く行ってみたいものです。まずは下呂温泉ですかね。

 ここで久しぶりに飛騨国(岐阜県高山市・飛騨市・下呂市)の情勢に目を移します。だいぶ前に「応永飛騨の乱」(01286回参照)を取り上げて以来です。今回は文明3(1471)年8月7日に発生した「文明飛騨の乱」についてです。
 飛騨国は南北朝時代から姉小路家が国司を、佐々木京極家が守護を務めていました。ご存じのとおり、ほとんどの国では国司は有名無実化し、守護が全てを牛耳るようになっていたのですが、ここ飛騨ではなぜか国司の姉小路家の権力が大きくなっていました。
 京極家は近江・出雲・隠岐・飛騨の4ヶ国(最盛期は山城含めて5ヶ国)の守護を務めており、本拠地は近江です。おのずから出雲・隠岐は守護代の尼子家が、飛騨は守護代の多賀家が切り盛りすることとなります。
 ところが、近江はまさに六角家との戦いで大忙しでした。尼子家は近江の戦いに関わろうとせず出雲統治に専念したのに対し、多賀家は主君京極家のため近江戦線にかかりきりになり、飛騨統治を疎かにしてしまったのです。その間に姉小路家はせっせと飛騨の領地を増やしていきました。
 さて、史料上最初に登場する姉小路家の飛騨国司は姉小路家綱(あねがこうじいえつな:?~1390)ですが、その息子たちは平和裏にか喧嘩してか分かりませんが
・家綱の子・師言(もろとき)が小島城(岐阜県飛騨市)を拠点とする小島家
・家綱の弟の子・尹綱が古川城(岐阜県飛騨市)を拠点とする古川家
・出自不明の家熙(いえひろ)が向小島城(岐阜県飛騨市)を拠点とする向(むかい)家
をそれぞれ創始し、3家に分裂しました。
 応仁の乱が始まったとき、京極家も姉小路家もともに東軍方でしたが、戦が進んで京極家は分裂し、「東軍・京極政経VS西軍・京極政光」という構図になりました。
 姉小路古川尹綱の孫・基綱(もとつな:1441~1504)は、これはチャンスとばかり飛騨国内の京極政光方に戦いを挑み、文明3(1471)年8月7日、政光方の飛騨国人(公家との説もある)・三木久頼(みつきひさより:?~1471)を討ち取るという戦果を上げました。これは公家出身である姉小路氏が戦国大名としての道を歩き始める第一歩となりました。国司から戦国大名となったのは大変珍しく、飛騨の姉小路氏、伊勢の北畠氏、土佐の一条家くらいでしょう。
 困った京極政光は、同じ西軍に属する斎藤妙椿に援軍を依頼しました。妙椿は兵を出すのではなく、一通の書状を基綱に送りました。
「三木を討ち取ったのは大変栄誉なことです。しかしここらで兵を退かれてはどうでしょう。これ以上攻撃を続けられるならば私も貴殿と戦わざるを得ません」云々。
 これを受けて基綱は撤兵し、文明飛騨の乱と呼ばれる戦闘は終結しました。さすがの基綱も、妙椿を敵に回して戦うだけの準備はなかったのでしょう。

近江にも尾張にも介入する妙椿、やはり飛騨にも介入しています。かなりの実力者ですね。

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