見出し画像

日本人の物語00897【建武期】杣山城・新善光寺城の攻防

 延元元/建武3(1336)年11月23日。高師泰が派遣した6千騎の足利軍は、脇屋義治らが立て籠もる杣山城の直近まで迫ってきました。そこでちょうど日が暮れたため、足利軍は野営をしました。
 ところが、足利軍の野営地は攻撃しやすい谷底にありました。瓜生保は「今こそ好機」とばかりに野武士3千人を敵後方の山に登らせ、兵700人を左右に配置して鬨の声を挙げさせました。寝ていた足利勢が鬨の声で目を覚まし、慌てふためいているところに、瓜生らの兵が次々と襲い掛かってきました。足利勢は次々と討たれ、逃げていきました。
 こうして初戦は瓜生方の勝利に終わりました。
 次に脇屋義治らの杣山城を攻めようとしたのは、元々瓜生が仕えていたボスである越前守護・斯波高経です。高経は
「金ヶ崎城を攻める際に、後ろの杣山城に敵がいたのでは上手く攻められないだろう。何としても杣山城を落とさねばならない」
と述べ、11月28日、3千騎を率いて新善光寺城(福井県敦賀市)に入りました。杣山城攻撃の準備に入ったわけです。
 瓜生保は
「敵に休ませる暇を与えてはまずい」
と言って、翌11月29日、3千騎で新善光寺城を攻撃し、一昼夜でこれを陥落させました。敗北した斯波高経は命からがら逃れました。
 その後、杣山城では勝利を祝う酒宴が開かれました。ところが、皆が酒や肴を口にしながら祝っているのに、脇屋義治は面白くなさそうにしています。瓜生義鑑房が義治に近づいて、
「これほどめでたい状況ですのに、どうしてそんなご様子なのですか」
と尋ねると、義治は威儀を正して、
「味方が二度の戦に勝利したことは確かに喜ぶべきことだけれども、皇太子(恒良親王のこと)を始めとして、お味方が金ヶ崎城で敵に包囲されている。きっと兵糧に窮し、落ち着ける気分ではないだろう。そう思うと、酒宴で楽しむ気持ちになれない」
と言います。まだ13歳なのに、何と分別のある少年でしょう。
 これを聞いた義鑑房は涙を抑えて
「このところは吹雪が激しくて、徒歩での旅が難しかったのです。晴れる日を待って、必ずや金ヶ崎城をお救いします」
と述べ、酒宴から立ち去りました。これを聞いた他の者たちも、改めて戦意を高めたといいます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集