日本人の物語01329【室町/義持期】カウンセラー義持
ちょっとおかしなタイトルを付けてしまいました。まあたまには良いでしょう。
伏見宮貞成王への親王宣下によって、称光天皇は父・後小松上皇への不満をくすぶらせていました。その不満が思わぬことをきっかけに爆発してしまいます。
応永32(1425)年6月27日。称光天皇が暇を持て余したのか、
「琵琶法師を呼んで平家物語を語らせたい」
と企画したところ、後小松上皇は
「そのような身分の者を宮殿に上げるなど先例がない」
と言って反対しました。上皇の返事を伝達した万里小路時房に対し、称光天皇は
「父上も先例違反が多いではないか」
と怒り出し、上皇への書状で「天皇をやめる」と書き送り、翌28日には出奔を試みるほどになりました。たかが琵琶法師のことでかくも揉めるとは、後小松上皇にとっては予想外だったでしょう。
上皇が義持に相談したことから、義持は28日中に参内して称光天皇に意図を尋ねました。すると称光天皇は
「父上は(伏見宮)彦仁に即位の準備をさせていると聞いている。自分が子を残さず死ぬことが前提となって事が動いているのはどういうわけか」
と本音を吐露し始めました。やはり貞成への親王宣下は、貞成の子である彦仁の即位を示唆するものと受け止めていたようです。
義持はさらに30日、閏6月1日、2日と連続で天皇を訪問し、天皇の話に聞き入りました。その上で閏6月3日に後小松上皇を訪れて相談し、上皇から「今後天皇を粗略に扱わない」との約束をもらい、それを天皇に伝えることでようやく事態は沈静化しました。将軍がまるで皇室のカウンセラーのような役割を果たしたのです。
後小松上皇は我が子の精神状態を改善するため、さらに布石を打ちました。閏6月3日、伏見宮貞成親王は正親町三条公雅(おおぎまちさんじょうきんまさ:1384~1427)から衝撃の手紙を受け取ります。
「上皇は『皇位を伏見宮の適切な人物(彦仁のこと)に譲り渡したい』と仰せだ。ついては貞成親王にあっては、速やかに出家されたいとの思し召しである」
貞成親王は日記に「仰天極まり無し」と書くほどの衝撃を受けました。自分が天皇になる可能性は完全に消えたものの、その代わりに息子の彦仁が天皇になれるわけです。息子のためなら惜しくないとばかりに貞成親王は二つ返事で出家を約束する返事を書きつつ、その夜は酒を飲みまくりました。勝利の美酒なのか、はたまた夢破れてのヤケ酒なのかは知る術もありません。
貞成親王は7月5日に出家を遂げ、息子の将来に思いを託しました。
貞成親王を主人公にすると面白いドラマになりそうな気がします。しかし皇族が主人公の作品って少ないですね。
