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日本人の物語01266【室町/義満期】日本国王 義満は売国奴か

頑張って人名索引を作り始めていますが、アップロードするにはまだまだ時間がかかりそうです。

 義満が日本国王の称号を獲得し、日本が明への朝貢国として位置付けられたことについて、かつては
「明に日本国王と認めてもらうことで、義満は朝廷を超える権威をつけたかった。これは義満の皇位簒奪計画(後述)の一環だ」
という説がまことしやかに囁かれていました。現代の保守主義者の中でも、義満を売国奴と糾弾する声が多くあります。
 平成20(2008)年発行の小島毅『消された日本国王』では、接見式の様子について
「明使は皇帝の親書を頭にうえに奉じながら進む。あらかじめセッティングされていた高机の上に、親書はうやうやしく置かれた。それに対する焼香がなされ、三度の拝礼があったのちに、義満は跪いて親書を披いた。これもまた当時から不評であった」
と描かれ、義満があまりに丁重に明の国書を取り扱っている様子が分かります。日本国王と呼ばれたことを心から喜んでいるように見えます。
 そして二条満基の日記『福照院関白記』は、国書の内容について
「書き方がもってのほかだ」
と憤りを込めて記しています。満済の『満済准后日記』にも、斯波義将が満済に
「鹿苑院(義満)のお振る舞いは過ぎたるようだ」
と漏らしている様子が描かれています。一体彼らは何に怒っているのでしょうか。
 一見すると彼らは、義満が天皇を差し置いて日本国王、つまり最高権威を名乗ったことに怒っているように見えますが、では彼らはもし天皇が日本国王に任じられたら喜ぶのかというと、そうではありません。そもそも「皇」と「王」は異なる概念であり、王は一地域を治めて「皇」に仕える者という意味合いがあります。天皇は「皇」であって頂点に位置するものであるのに、「王」の立場に甘んじて中国皇帝の風下に置かれることは公家たちにとって我慢ならないことなのです。つまり彼らは、日本国は(古墳時代以前はさておき)どこの属国になったこともないのに、進んで明の属国になったことに怒っているのです。
 義満もまた、「皇」と「王」の違いといった基本的な知識は持っていたはずです。つまり日本国王になったところで、その権威は天皇を超えるどころか明の皇帝より下に位置付けられてしまうのです。にもかかわらず、なぜ進んで日本国王になったのでしょうか。
 その謎は、平成22(2010)年に壬生寺(京都市中京区)で発見された『宋朝僧捧返牒記』という文献によって解明されつつあります。

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