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日本人の物語00331【平安中期】定子の復権

 この頃、居貞親王が藤原綏子の浮気を疑い、道長に調査を命じるという出来事がありました。綏子といえば、居貞親王から言われるがまま、手が紫色になるまで氷を持ち続けた健気な女性ですね。道長の妹でもあります。
 道長は綏子と出会いざま、突然綏子の衣を開いて乳房を握り、母乳が出たのを確認しました。これにより綏子の密通が発覚したのです。相手は源頼定(みなもとのよりさだ:977~1020)でした。居貞親王は綏子が泣き出したと聞いて「道長もそこまでしなくても良かったのに」と恨めしそうに呟いたといわれています。
 長徳3(997)年。恩赦により伊周・隆家が召還されることとなりました。法皇を殺害しようとしておいて、たった1年で許されるものなのですね。これに伴い定子が内裏へ戻されることとなりました。一条天皇がどうしても定子を戻したがったのでしょう。
 既に落飾した定子を内裏に入れることについて、批判する者が多数いたそうです。天皇と仏の両方に仕えるのはおかしい、ということでしょう。
 内裏に戻った定子は、休職中の清少納言に対して花びらを送ります。その花びらには「言はで思ふぞ」と書かれていました。これは
「心には 下行く水の わきかへり 言はで思ふぞ 言ふにまされる」
という歌の一節です。心に秘めた思いは、口にするよりも言わない方が深く美しいというのです。つまり定子は「清少納言が道長派のスパイだ」といった噂について「私はそうではないと信じている。帰ってきてほしい」と言いたかったのですね。
 直接言うのではなく、あえて口にしないところが良いですね。これを受け取った清少納言は、再び定子の元に出仕するようになります。
 同年。元子が妊娠したとの話が伝わってきました。同時期に入内していた藤原公季(ふじわらのきんすえ:956~1029)の娘・義子(よしこ:974~1053)は歯痒い思いだったことでしょう。
 元子が里帰りして出産に備えるため、内裏を退出するとき、義子付きの女房たちはこれを見物するため、簾に寄りかかりました。簾が膨らんだのを見た元子付きの女房が、「あら、ここで孕んでいるのは簾だけね」という強烈な一言を言い放ち、義子付きの女房たちはひどく悔しがったといいます。
 しかし産み月になった頃、事件が起こります。一条天皇の玉座に犬の糞が置かれていたのです。道長派か伊周・定子派か分かりませんが、顕光・元子父娘の栄達を阻もうとする者による嫌がらせでしょう。その元子ですが、結局産気づくことなく、出てきたのは水だけだったといいます。現在でいうところの想像妊娠だったのでしょうか。

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