日本人の物語00290【平安中期】承平天慶の乱 坂東平氏の成立*
朱雀天皇の即位後、政権を担ったのは藤原忠平でした。時平に比べて知名度はあまりありませんし、思い切った改革は行わなかった人ですが、敵を作らないタイプの好人物で、延長8(930)年から天暦3(949)年にかけて政権の最高実力者の地位にありました。
ちなみに忠平は「貞信公(ていしんこう)」とも呼ばれ、百人一首に
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆき待たなむ」
が収録されています。
忠平政権の発足後、「承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱」という未曾有の大反乱が起こります。これは「平将門の乱」「藤原純友の乱」の2つを総称したものです。
平将門の乱を語るには、一旦、寛平元(889)年の出来事に遡らなければなりません。
寛平元(889)年。桓武天皇の孫(一説には曽孫)とされる高望王が宇多天皇の命により臣籍降下し、平高望と名乗るようになりました。
その平高望が寛平10(898)年に上総介に任じられ、上総に赴くこととなりました。
その後、高望の子らが坂東に居つくようになります。これが坂東平氏の始まりです。高望の子のうち、重要な人物とその本拠地を列挙しておきます。
・長男 平国香(たいらのくにか:?~935):東石田(茨城県筑西市)
・次男 平良兼(たいらのよしかね:?~939):横芝(千葉県横芝光町)
・三男 平良将(たいらのよしまさ:?~917?):豊田(茨城県常総市)
・五男 平良文(たいらのよしぶみ:生没年不詳):村岡(埼玉県熊谷市)
・九男 平良正(たいらのよしまさ:生没年不詳):水守(茨城県つくば市)
「よしまさ」という読みの人物が2名いてややこしいですね。もしかすると読み方が違うのかもしれませんが、この時代の人物の名の読みは分かっていないのです。
延喜17(917)年頃、平良将が早世し、家督を子の平将門(たいらのまさかど:?~940)が継ぎました。良将は兄・国香よりも早く死んだわけです。
一方、国香の子には長男・貞盛(さだもり:?~989)がいました。貞盛と将門は従兄弟同士で、非常に良好な関係を持っていたようです。この時点では、まさか将門の起こした乱を貞盛が鎮圧することになるとは思わなかったでしょう。
年代は不明ですが、貞盛と将門は都に出て藤原忠平に仕えることとなりました。
この時代、坂東にいては出世栄達は望めなかったでしょう。出世栄達を望んだのか、あるいは都での生活に憧れを持っていたのかもしれません。


