日本人の物語00366【平安中期】平安中期総括
平安時代中期として、延長8(930)年の朱雀天皇即位から治暦4(1068)年の後冷泉天皇崩御までを取り上げました。この時代を簡単にまとめます。
この時代は承平・天慶の乱という前代未聞の大反乱とともに始まりました。この反乱によって政府は武士の力を見せつけられたわけですが、それでもまだ貴族が圧倒的な力を持っていました。
その後、村上天皇が「天暦の治」と称する親政を行いますが、実際には藤原師輔の影響力が大きく、天皇親政と呼べる状態ではありませんでした。
藤原氏は安和の変で源高明を失脚させ、独裁体制を整えて行きますが、その後、内紛によって権力掌握がやや遅れます。兼通と兼家の争い、道長と伊周の争いが特に有名ですね。長徳の変で伊周派が失脚し、道長がようやく権力基盤を確立させます。
道長は4人の娘を天皇に嫁がせ、中宮と皇后を並び立たせるなどのウルトラCを駆使し、摂関政治は最盛期を迎えます。そうした中で、皇后定子と中宮彰子というライバル関係が生まれ、彼女らに仕える女房たちが和歌や仮名文学や日記文学を流行させ、日本史上初の文学ブームが生まれていきます。
仮名文学の流行を、道真による遣唐使廃止と絡ませて理解する見方が有力視されています。遣唐使が廃止され、唐の文化が入って来なくなったことで、日本独自の文化が花開いたというわけです。
一方、肝心の政治はどうだったかというと、朝廷の儀式ばかりが重視され、疫病や飢餓といった本来の社会課題に背を向けて貴族たちの優雅な暮らしを守るための政治しか行われませんでした。相当に複雑化された儀式の手順が生まれ、これに適応できる藤原実資などの実務家が重宝されていきました。この儀式の手順の複雑さは現代にまで受け継がれています。
さて、道長の死後にその基盤を引き継いだのは子の頼通でしたが、頼通には女子がほとんど産まれず、摂関政治は早くも終焉を迎えることとなってしまいます。
ちょうどその頃、前九年の役を源頼義・義家が鎮圧したことで、武士の存在感が増してきました。この後も、あちこちで起こる反乱に対して武士が活躍を見せていくことによって、貴族から武士へと政治の主役が徐々に入れ替わっていくこととなるのです。
これで古代史が終了し、次回からいよいよ中世史に入ります。武士が主役の時代の始まりです。
