日本人の物語01356【室町/義教期】貞成親王と義教
義教が怖いという話が続きますが、なぜ貞成だけはかくも好かれてしまったのでしょうね。
貞成王が親王となり、義教が将軍になった後も両者の交流は続きます。
永享2/正長3(1430)年5月7日。後小松上皇に仕えていた一条局(いちじょうのつぼね)が妊娠したのですが、後小松上皇は「孕ませたのは正親町三条実雅だ」と主張し、一条局を解任しました。実雅は妹を義教に嫁がせている義教側近であり、義教は激怒して実雅をかばいました。実雅に不倫疑惑がかけられるのは5年ぶり2度目ですが、少なくとも1度目の疑惑は史料を見る限り事実無根のように思われます。2度目の真相は不明です。
この一件で後小松上皇は完全に義教を敵に回したわけですが、貞成親王は上皇や義教と異なり、嫌なことがあっても絶対に我慢するタイプです。8月、貞成親王の側近である田向経良(たむけつねよし)が、前月の義教の右大将拝賀の儀に参加しなかったことを根に持たれ、石清水八幡宮の上卿(宮中と八幡宮とのやり取りを取り次ぐ役職)を突然辞めさせられ、予定されていた権中納言への昇進も取り消されてしまう事件がありましたが、貞成親王はこのことを一切抗議せず呑み込みました。義教という人物の恐ろしさを既に認識していたためでしょう。
義教はさっそく後小松上皇への嫌がらせを開始します。11月に後花園天皇の大嘗会に向けての御禊行幸があったのですが、義教は上皇ではなく貞成親王に一緒に見物しないかと誘ったのです。後花園天皇はあくまで後小松上皇の猶子として即位したのであって、もはや貞成親王との父子の縁は切れているわけですから、上皇にとって貞成親王だけが誘われるのは大いに不快だったでしょう。
貞成親王にとって義教と顔を合わせるのはストレスだったでしょうが、息子が即位して以来一度も会えていません。息子の晴れ姿を一目見るべく貞成親王はこの誘いに乗り、牛車の中から見物しました。御簾ごしにかすかに息子の顔を見ることができたことを、貞成親王は喜んで日記に記しています。一方、このことを知った上皇はもちろん不機嫌になりました。
義教の横暴は続きます。11月9日には、東坊城益長(ひがしぼうじょうますなが:1407~1475)が、直衣始の儀で義教に向けてにっこりと笑顔を見せたことが原因で、所領没収の上蟄居となりました。何が怒りを買うか分からない相手です。
貞成親王はそんな恐ろしい相手と、12月20日に酒宴を開く羽目になりました。義教が帰るところを見送る貞成親王が一緒に庭に降りると、義教はギロッと睨みました。貞成親王は慌てて堂上に戻りましたが、翌日義教から
「昨日庭にお降りになったがよろしくない。今後はなさらないように」
との伝言がありました。義教は後小松上皇を排除するために貞成親王を「天皇の実父」として処遇しようとしており、そのためにも格の高さを意識して行動してほしいと言いたかったのでしょう。貞成親王は日記に
「どうも失敗してしまった」
と反省の弁を記しています。
「にっこり笑顔を見せると所領没収」というのは怖すぎますね。たまたま不機嫌だったのでしょうね。
