日本人の物語01106【南北朝中期】決戦ならず
大河ドラマは「光る君へ」「べらぼう」と2連続でこれまでと異なる時代を描いていて、ありがたいですね。この勢いで南北朝も是非描いてもらいたいものです。
頼みの赤坂城が陥落し、観心寺の南朝首脳たちは今にも敵が攻め込んできそうだと、戦々恐々としていました。
ところがいつまで経っても敵は押し寄せてきません。というのも、正平15/延文5(1360)年5月28日、義詮は
「南方の討伐は、もうこれまでだ」
と言って、20万以上もいる大軍を率いて京へ帰っていったのです。
赤坂城が陥落した今、あとは後村上天皇のいる観心寺は目と鼻の先だというのに、これは一体どういうことでしょう。尊氏が後醍醐天皇を個人的に思慕していたように、義詮もまた南朝への憎しみを持ちきれず、後村上天皇に最終的打撃を与えることを躊躇していたのでしょうか。諸将は大いに不満がったようですが、ともあれ、最後の大決戦は行われないまま、一旦停戦となりました。
太平記はこの頃に南朝の役人が見たという不思議な夢について紹介しています。
その役人が夢の中で後醍醐天皇の墓前に参上したところ、後醍醐天皇の霊が現れました。後醍醐天皇は日野俊基・資朝といった側近を呼び、
「逆臣どもをどう退治すべきか」
と尋ねました。俊基と資朝は次のとおりすらすらと答えます。
〇仁木義長は菊池に申しつけていますので、伊勢国で滅びるでしょう。
〇細川清氏は土居・得能に申しつけていますので、四国で滅びるでしょう。
〇畠山国清は、特に謀殺された恨みを持つ新田義興が承って必ず罰すると申しております。
これを聞いた後醍醐天皇は満足そうに微笑み、
「では元号の変わらぬうちに、早く退治せよ」
と述べたところで目が覚めたといいます。
この夢が後付けで作られたのは明らかです。というのも、ここに挙げられた3人はいずれも近いうちに北朝内で失脚して全ての官職を失うこととなるのです。仁木義長は伊勢に隠遁してかろうじて命は助かりますが、細川清氏と畠山国清は正平17年/康安2(1362)年中に幕府に討伐される運命にあります。いずれも「(南朝方の)元号の変わらぬうち」の話です。
さて、義詮のおかげでギリギリ生き延びることができた南朝ですが、まだまだしぶとく生き続けます。この後、幕府内でまたもや時ならぬ内紛が起こり、それが予想以上に長期化したおかげで南朝は勢いを回復させ、最後にもう一花咲かせる(4度目の京都占領を成功させる)こととなるのです。
