日本人の物語01392【室町/義教期】義教期総括
パワハラ上司が嫌い過ぎて、昔から信長や義教が嫌いでした。最近、信長は言うほどパワハラではなかったことが分かってきましたが、私の義教に対する嫌悪感は多分死ぬまで変わらないですね。
これにて6代将軍義教の時代が終わりました。まさに「万人恐怖」の世で多くの人が翻弄された時代でした。
ところが近年、こんな義教を再評価する動きがあるようです。つまり義持の時代に将軍権力が弱まってしまったため、義満時代に戻そうと義教は奮闘したというのです。
確かに義持の時代、上杉禅秀の乱に加担していた大名がいたのに、義持は彼らとの対決を避けて妥協の道を選びました。その後も反逆者・持氏に対して融和の姿勢で臨み、可能な限り戦乱を起こさずに解決してきました。
それが甘すぎたためか、義教の時代になってから持氏は舐め切った態度を見せてきます。特に嫡子・賢王丸の元服式をめぐるいざこざは、持氏側からの挑発といってよいでしょう。この一件をめぐって持氏と憲実は決定的な対立を生じ、義教はこの機を逃さず介入し、見事持氏を退治したのでした。
妥協せず鎌倉府を討伐したことは、なるほど幕府の権威を確立する上で必要なことだったかもしれません。しかし、守護の家督への介入はいかがなものでしょうか。
義満が山名家に介入して明徳の乱を引き起こし、山名家の勢力を大きく減退させたのはご存じのとおりです。しかしあの義満でさえ、守護への家督介入は山名家に対してしか行わなかったのです。一方で、義教は13年間の治世の中で少なくとも6家の家督に介入しています。
山名家: 時熙の後継を持豊から持熙に、そしてまた持豊に
大内家: 盛見の後継を持盛から持世に
今川家: 範政の後継を千代秋丸から範忠に
斯波家: 義淳の後継を持有から義郷に
畠山家: 持国を引退させて後継を持永に
富樫家: 教家を引退させて後継を泰高に
この行き過ぎた介入が、将軍権力の強化どころか将軍暗殺を招いてしまったわけです。義教の態度は結果的に幕府の権威失墜につながりました。
また、敵を作ることを厭わず果断に敵対勢力と向き合う姿勢が再評価されているようですが、挑発的な持氏の討伐だけならまだしも、料理がまずいことを理由に料理人を処刑したり、梅の枝が折れたことを理由に庭師を2人切腹させたりしたことは、到底正当化し得ないでしょう。
とにかく、独裁者の時代は終わりました。しかしこれ以降の室町幕府は、逆に決断力のなさ過ぎる(コロコロと判断の変わる)将軍を戴くことで大混乱に陥っていきます。
7代将軍足利義勝の時代に進みたいところですが、ここでちょっと別の地域に目を向けたいと思います。次回から、今までお留守にしていた北海道と沖縄の話を始めます。
